録音の結果、なんだかボリュームが小さい気がする、という人のための情報。Audacity2の初心者講座には目を通してある前提で進める。イフェクタのパラメータについてはイフェクトソフトの紹介のページを参照。ナレーションなどの用途でノイズを抑制しつつ声を目立たせたい場合はストリーミング放送の収録と加工を参照。
Audacityの他に、BLOCKFISH、Fraser's VST Plugins(本家サイトが閉鎖になっているので、We Love CubaseVSTなどから入手:VST Plugins Part2のページにファイルがある)のF_S_Comp、George Yohng's W1 Limiter、Buzmaxi3を利用する。
「御託はいい、俺はとにかく音をでかくしたいんだ」という人は、音量を0dbまで増幅してから
この設定でBuzmaxi3をかけよう。もし物足りなければ「Make Up」を0.4まで上げるが、必ず「大音量で再生しても問題が出ないか」どうか確認するとともに、自分の想定より小さな音量でもチェックしておこう(筆者の経験に過ぎないが「この曲うるせぇな」と思って音量を下げたら歪み成分しか残らずマトモに聴けなかったことが何度もある)。とくに、歪ませたエレキギターやオーバードライブしたバスドラムを追加で強く潰すと酷い音になるので注意。最終チェックはミックス用の機材ではなくリスニング用の機材で(mp3などで公開するなら圧縮も済ませて)行うことを強くオススメする。リスナーの疲労度の評価には、カナル型イヤフォンでのチェックも役立つ。
乱暴な話ではあるが、1dbでも音圧を捻り出したい場合、下手な小細工をするよりは「最後の最後にマキシマイザー」の1点突破が最短である(編集作業の一部を業者に依頼する場合も、たいていは「余計なことはしないでおいてくれ」というお願いがされていると思う)。また、オマケ3でまた触れるが「市販CDと同等の潰し方」は最初からムリである(とくにヴォーカルを筆頭とするアコースティック楽器がメインになっている場合は厳しく、ムリなものを強引に潰せば当然酷いことになる)。シンセ使いまくりの曲では低音のセンター寄せも有効ではあるのだが、普通の曲ではベースとバスドラをセンター定位にしておくだけでたいてい足りる。
マトモな低域出力ができない機器で再生されることがあらかじめわかっている場合、マキシマイザーの前にハイパス/ローカットフィルタを(マスターに)入れておくと、ピーク音圧(や無線なら搬送経路)のマージンを稼げる。館内放送やミニFM用のマスタリング技術として有用だろう(FMで流す場合、ローパスもかけておいた方がよい)。もっと計画的にやる場合、低音楽器をいわゆる中低音のレンジに集め、コード楽器のローエンドもそれに応じて削ることになる(徹底的にやるなら、アレンジの時点でシンセベース音源を選び最初から極低音を出さないのが素直)。
なお、マキシマイザーをかけていっぱいまで増幅したデータをmp3などに変換すると音が割れるので注意(詳しくはこのページのオマケ3や一足飛びの妙な誤解を解消したいのページを参照)。
元ファイルの波形はこんな感じ
これに増幅をかけると
こんな感じになる。
増幅時に最大振幅を0dbにすると、mp3などに変換した際オーバーシュートでクリッピングノイズが入るので、やや余裕を持たせてある(図では-1dbにノーマライズしているが、試行錯誤したくない人は-3dbに設定しよう)。
このように、音量を一定値まで上げて(もしくは下げて)やることをノーマライズという(という説明は正確でないが、ここではそう理解して差し支えない)。ノーマライズだけを行ったサンプルを用意した。比較のためこの音をよく覚えておこう。
サンプルファイルではmp3に圧縮してもクリッピングが起きないことを確認しつつ-1dbにノーマライズしているが、限界まで音量を上げたいなら微調整が必要である(もしくは、オーバーシュートの度合いを自動計測してくれる圧縮ソフトを使えばよい:筆者は知らないが)。
たいていの圧縮アルゴリズムでは、もとの波形をスカラ倍しても(微妙な誤差はあれど)相似な出力を保つはずなので、いったん余裕のある音量で圧縮してマージンを確認してから、ちょっとだけ控えめに増幅して再圧縮し、最後にクリップしていないことを確認すればよい(たとえば、-3dbFSピークで圧縮してみて、余裕が2.5dbあったとしたら、2.4db増幅してから再圧縮するとか:ただしこの設定だと「再生時に起こるオーバーシュート」や次で触れるような「勝手にリミッターをかける再生環境」でのクリップが避けられないので、実際にはもう少し余裕を見た方がよい)。
筆者は確認していないが、おそらくVistaくらいを境にWindowsのオーディオエンジン(以前のカーネルミキサーに相当)が勝手にリミッターをかける仕様に変わったらしい(ありぱぱPさんという方の解析結果を参照)。単純にノーマライズしただけの波形なら0.2dbくらい潰されてもそれほど騒がなくて済むことが多いが、限界までマキシマイザーで叩いた波形などはそれなりに影響を受けるかもしれない。マスタリング時にヘッドルームマージンを(不可逆圧縮する場合は圧縮後のヘッドルームで)0.2dB(理論値で0.133dB)取ると影響を回避できるらしい。
一定音量より大きな音の音量を下げる(閾値をt、元の音量をd、圧縮率をc、出力音量をwとすると、i>tのときw = t + ((d - t) / c ))となる)。元ファイルをいっぱいまで(最大音圧0dbで)増幅して
compression0.3くらいでBLOCKFISH
またいっぱいまで増幅して、このくらいの設定でF_S_Comp
最後に-1dbまでノーマライズしてやるとこのようになる。
処理したファイルがこれだが、ノーマライズだけよりも音量感が増しているのがわかると思う。
上記と同じ手順で、BLOCKFISHをかけるときにsaturationを0.5くらい入れてやると
こんな音になる(上記の設定以外はまったく同じ手順)。
サチュレーションというのは音量レベル超過のこと。BLOCKFISHのサチュレーター機能はアナログのカセットテープに過大音量を入力したときの音質をシミュレートしてくれる(プチプチしたノイズを入れることなく、比較的自然に音量オーバーの音を作れる:結果的に、デジタルのノンリニア編集ではリミッターと似たような使い方ができる)。
真空管アンプへの過大入力(またはそのシミュレート)であるオーバードライブというのも(細かなニュアンスは異なるが)似たような効果(詳しくはもう少し複雑な使い方のページを参照)で、オーバードライブが発生させるサチュレーションノイズをハーモニックディストーション(高調波歪み)と呼ぶことがある。
リミッターは音圧超過による機材の損傷を防ぐための機材(またはそのシミュレーター)で、本来はイフェクトというより安全装置的なものだったが、サチュレーターと同様の使い方もできる(荒っぽい仕上がりになるのを好んで、あえてリミッターを使う人もいる)。
ソフトウェア上のデジタルイフェクトとしてコンプと比較すると、決定的な違いはアタックが非常に早いことだけである(一応、出力を縦軸/入力を横軸に取ったグラフの傾きが右端で0に近付くものをリミッター、そうでないものをコンプと呼ぶことが多いが、厳密なものではない)。実機の場合「安全装置として使える(と作った人が考えている)」ものがリミッターを名乗っているはず(ただし「リミッターで潰した音を再現するだけで安全装置としては機能しない」ものもないではない)なので、そうでない機材をリミッターの代用にする場合は注意が必要になる。
コンプレッサーの項と同じ手順でBLOCKFISHをかけ増幅したファイルに
このくらいの設定でGeorge Yohng's W1 Limiter(WAVESのL1 Ultramaximizerというマキシマイザーのクローンなので純然たるリミッターではないが、リミッターの使用感みたいなモノは伝わると思う:ごくごく単純かつ理想的なリミッターは、クリッピングを許可して過剰にデジタル増幅したのと同じ出力をする)をかけて-1dbにノーマライズしてやると
こんな音になる。サチュレーターをかけたときと似た結果だが、やっていることもあまり変わらない。
このくらいの設定にしてやると
こんな感じに膨れ上がって
耳が痛いくらいの音圧にすることも可能(本当に耳が痛くなるので再生時には注意)。
この処理でノイズが入った場合は多分クリッピングノイズかプチノイズなので、ノイズ対策のページを参照してノイズを落とすか、設定を控えめにしてやり直してみるとよい。サチュレーションノイズで高音成分が増えすぎた場合、イコライザで削るとオーバーシュートするため、音圧を稼ぐのが目的ならサチュレーターの設定を見直した方がよいだろう。
コンプやリミッターと違い、最初から音圧を上げることを目的として作られたイフェクトをマキシマイザーという。音質劣化を抑えつつ音圧を上げる工夫がいろいろとなされているが、オマケで後述するマルチバンドコンプと似た動作をするものが多いようだ。
Buzmaxiというマキシマイザーで6db、9db、12dbのブーストをかけたサンプルを用意した(耳が痛くなるので再生時には注意:12dbが最大設定)。
専用設計だけあって、リミッターなどと比べるとかなりスムーズな仕上がりである。すべての音を混ぜて(ミックスして)から使うことが多い(リミッターやコンプは混ぜる前の音にも普通に使う)。
BuzmaxiはAudacityでは動かなかった気がしたのだが、vst-bridge1.1とbuzmaxi3の組み合わせで試したら普通に動いた(上記のサンプルはReaperからbuzmaxi2で加工したもの)。Modeは0が「aggressive」で1が「smooth」(普段はsmoothだけ使えばよいだろう)、Make UpとOut Ceilingは0.1で2.4db、0.2で4.8db、0.3で7.2dbと、0.1=2.4dbのリニアである。SpectrumとMetersはオン(0)にしても意味がないので両方オフ(1)でよいだろう。
ノーマライズだけ、コンプ、コンプとサチュレーション(BLOCKFISH)、コンプとサチュレーション(George Yohng's W1 Limiter)、コンプと強烈なサチュレーション(耳が痛くなるので再生時注意)、マキシマイザー、強烈なマキシマイザー、非常に強烈なマキシマイザー(耳が痛くなるので再生時注意)と並べてみたが、同じ-1dbピークでも音量感にかなりの差があることがわかると思う。
聴き比べる場合、ぜひ「同じ音量感で聴こえるように再生機器のボリュームを調整した上での比較」もやってみて欲しい。テレビなど操作が面倒な機器と違い、パソコンやオーディオ機器で音声を再生するリスナーは、音量感が大きければボリュームを絞るし、音量感が小さければボリュームを上げる。リスナーの手元で想定される音量で再生した場合にどの程度の質感が出るのかということが問題なのであって、同じ設定で再生したときの音量感の差は(後述の音圧競争に参加したいのでもなければ)あまり問題でない。
好みもあるが、筆者としてはコンプとサチュレーション(BLOCKFISH)くらいが快適に聴ける限度ではないかという気がする(自作のファイルでは、後段のコンプの効きをスムーズにしたいとか、サチュレーションノイズに他の音を埋もれさせたいなど、積極的な音作り以外ではサチュレーションもあまり入れない)。とくにウタものの場合「いちばん盛り上がるパートがもっとも酷い悪影響を蒙る」ことになるため、頑張りすぎるとロクなことがない。
ただし、ポータブル機器での再生を前提にしている場合だけは例外で、他の曲とシャッフル再生される可能性がかなり高く、しかも使用状況的に音量調整がわずらわしいと予想されるため、市販CDやダウンロード販売されている楽曲に近いレベルまで音圧を稼いでおいた方がよいと思われる(その場合、マキシマイザーを使うのが手っ取り早いだろう:buzmaxi3がオススメ)。目的や用途に合わせた加工を心がけよう。
ミックスダウン前の音(MTRの各チャンネル)にコンプをかけることをチャンネルコンプ、ミックスダウン後の音にコンプをかけることをトータルコンプ(またはマスタリングコンプ)というが、音質面を考えるとトータルコンプは最小限に留めるべきである。
トータルコンプを強くかけると、たとえばバスドラが大きな音を出している部分でハイハットが巻き添えになるなど、副作用が大きい(このページのサンプルファイルでも確認できると思う)。これを避けるためにマルチバンドコンプ(特定の周波数帯だけに作用するコンプ:単にデジタルコンプと言った場合これを指すことがある)を使うのだが、どうしても不自然な音になる。
上記のサンプルで言えば「非常に強烈なマキシマイザー」をかけた音を-12db増幅して「ノーマライズだけ」のものと比べると、いかに不自然でキモチワルイ音になっているかわかると思う(デジタルコンプの名誉のために一応断っておくが、ムリヤリ音圧をひねり出すから不自然になるだけで、デジタルコンプそのものが不自然に効くわけではない:Buzmaxiの名誉のためにもうひとつ断っておくと、6db前後のブーストをスムーズに行いたい場合、とくに前述のポータブルオーディオ用に重宝で、乱用さえしなければ優秀なソフトである)。実際にここまで強烈(かつ乱暴)なマキシマイザーをかけることはほとんどないが「1dbでも大きく」という方針で作業すると、結局はこの不自然さと背中合わせになる。
ぶっちゃけ、アマチュアがトータルコンプで凝ったことをする必要は、少数の例外を除きほとんどない。一方プロの現場ではマーケティングの都合で音楽性を犠牲にしてでも音圧を稼がなければならない場合があり、音圧競争とかLoudness Warと呼ばれる(もう一方で、コンプを深くかけないと聴くに堪えないような録音を何とか商業ベースに乗せるための苦肉の策でもある)。歴史的な経緯についてはMEMORY LABというサイトの記述が詳しい(なお、リンク先でCD-Rマスターについて誤解を招く表現がなされているが、CD-RでもマスターとプレスしたCDのPCMデータを同等にすることは当然可能なので音が「悪くなる」ことは普通ない:U規格テープからのマスタリングについて筆者はよく知らないが、もしそこに「バイナリ一致しない処理」が含まれていたとしたら、従来の方法に慣れた人にとってUマチックの方が「やりやすい」可能性はある)。
上記以外の動機として、たいていの音楽は小音量で聴くよりも大音量で聴いた方がよく響くという事情もある。音楽製作に関わる人なら、多かれ少なかれ「大音量で届けたい」という願望を持っているはずである(もちろん筆者もその1人である)。しかしそれを「加工で無理強いする」のは、太陽と北風の喩えのように、かえって逆効果になることもある。たとえば、前の項で挙げたファイルのうちいくつかは「とても大音量で聴けたものではない」音になっている。有意な副作用が出ない範囲での工夫なら積極的に行うべきだが、何事もやりすぎはよくないということはしっかり認識しておきたい。
なお、普通のコンプが「フェーダーを自動で動かすツール」だとするとマルチバンドコンプは「EQを自動で動かすツール」に相当するので、普通のコンプで処理しきれないパートを前もって手フェーダーで処理しておくのと同様、マルチバンドコンプで処理しきれないパートは前もって手EQで処理しておくことになる。
音圧を究極まで高めた音とはどんな音なのか。PCMに限ればごく単純な話で、記録(ないし再生)可能な最低周波数の矩形波(ただし折り返しノイズに相当する成分も垂れ流したローパスなしの波形:もちろん0dbFSにノーマライズ)である。
たとえば最低音20HzのモノラルPCMで考えるなら、このファイル(エネルギーが大きな波形なので大音量で再生しないこと)よりも音圧が高いデータは作れない(sinc補間のRMSで考えると、正弦波より3db、ホワイトノイズより4.5dbくらい高くなる)。
ただしこれは仕事率が最大になる波形であって、必ずしもラウドネス(聴覚上の音量感)が最大になるとは限らない。ラウドネスは音量にも依存して決まる(たとえば、人間の耳は小音量の低音には鈍感だが、大音量の低音には比較的敏感)ため、波形だけで云々するのが不可能である。
0~100phonの音量域ではいずれも3KHz周辺がもっとも強く感じられるので、聴覚上は3KHz前後の矩形波が最大になるのかな、といったところ。資料での確認や詳しい実験はしていないが、同じピーク音圧で20Hzの矩形波と3KHzの矩形波なら、後者の方が明らかに音量感がある。
なお、完全に屁理屈の領域ではあるが、スピーカを増やすことでも音圧を上げることができる。たとえば2chステレオの音声にドギツいバスブーストをかけたうえ、ネットワーク回路で低域だけ分離してサブウーファーに流せば(=2.1ch化すれば)、全体の音圧は相当上がる(PA用だと、実際にそのような処理を行う機材もある:ただし、音圧を上げるために2.1ch化しているのではなく、2.1ch化する機械にオマケでバスブースターがついているだけ)。また、同じ出力のスピーカなら、数が多い方が最大音量を稼げる。
最近は「ニコニコ音圧」という言葉があるらしい。どうやらニコ動などの動画投稿サイトで他よりも少しでも目立とうと(あるいは「なんでもいいからとにかくケチをつけたい」という動機で投稿された「音が小さい」というコメントを真に受けて)極限まで高くした音圧を指すらしい。
市販CDなどの音圧競争はプロがプロ用の環境と機材を使ってやっているもので、少なくともCDをCDプレーヤーで再生する分には(音楽的な良し悪しは別として)明確なノイズになったりしないのが普通だが、シロウトが限界までマキシマイザーをぶん回すのはあまり感心しない。2009年現在「市販CDと同等の潰し方」が可能な機材は「マスタリングスタジオ」と呼ばれる専用スタジオにしかないのが普通で、オマケ1のリンク先にも、マスタリング用の機材や設備が足りずエムズディスクというマスタリングスタジオに外注を出した話が掲載されている(筆者の素人判断に過ぎないが、0.1db単位でカツカツの音圧稼ぎをするには「普通のレコスタ」くらいの設備では到底足りないと思われる)。
このページの最初でも触れたが、そもそもマキシマイザーがかかった音を0dbFSピークのまま非可逆圧縮すること自体にムリがあり、市販CDだって(マキシマイザーがかかった音をリッピングして)何も考えずにmp3にエンコードすれば音が割れる(疑う人は自分で試してみよう:理由などについては一足飛びの妙な誤解を解消したいのページを参照)。さらにそれを48kHzネイティブで強制リサンプリングがかかるサウンドカード(セット売りのパソコンに標準搭載されているのはたいていこのタイプ)などで再生した日には酷いことになる(だから、メジャーレーベルなどは非可逆圧縮専用にマスタリングしたデータを売っている:確認はしていないが、2009年現在、非可逆圧縮用のマスタリングツールもアマチュアの手には届かないと思う)。さらには、Windowsのオーディオエンジンに0.2db(理論推定では0.13db:ありぱぱPさんという方による解析結果が詳しい)のピークリミッターが強制されるなんていう話もあって、無圧縮ファイルでリサンプリングも回避してさえ万全ではない。
音をデカくして目立ちたいという心情はわからないでもないが、最低限自分の手元で(最終的なフォーマットのものを)再生して問題がないことを確認するとともに、少しくらいはリスナーの「耳」(とデカい音で聴きたいときにボリュームを上げる程度の知能)を信用してあげてよいのではないかと思う。とくに「フレッシュな状態で1曲だけ聴くならどうということはないが、アルバム1枚分くらい続けて聴くと耳がヘロヘロになってしまう」ようなバランスは、あえてやるのか避けて通るのか十分検討した方がよい。
2014年6月追記:ネットを介した制作分業が進んだせいか、冒頭で触れた「ごく低音をバッサリ落とす」加工がウェブコンテンツにも増えてきたようだ。需要と技術の落とし所の1つとして有用な解には違いないのだろうが、ちゃんとしたハードで再生すると寂しい鳴りになるトレードオフがあり、できるなら「高音質バージョン」みたいなものを別に用意しておくのが無難ではないかと思える。またすでに触れたように、この加工をやるときは中低音でしっかり演奏を支えられるようあらかじめ工夫しておいた方がよい。
2015年追記:この間音楽配信サイトを一巡りしてみたところ一部で競技化しているような感じで、マキシマイザーのピアプロvsオートチューンのミュージックトラックみたいな構図になっていた。さんざん「感心しない」とかなんとか書いておいてアレだが、ほとんどビットクラッシャーと化したピアプロのマキシマイザーは清清しさを感じさせる領域にまで達しており、パンク的な表現(という認識でやっている人がいるのかどうか知らないが)としてアリといえばアリなのかなという気もしてきた。
なぜか需要があるようなので軽く触れておく。原理はどうということはない。
たとえばこのファイル(左が無音のステレオ)とこのファイル(右の音声だけ取り出してモノラルにしたもの)をスピーカで再生すると、後者の方が(理論値で)6.02dbほど音圧が高い。スピーカを2本使っているのだから音が2倍に大きくなる(能率2倍の電力2倍で振幅2倍)。これが基本。
しかし、モノラルにしてしまうと定位がセンターまで寄ってしまう。それはやりすぎだろうということで、たとえば、右の音にベタ効きのコンプをかけたときに「潰れるはずの分」を左に移植してやるとこんな感じになる。
ようするに、片方のチャンネルだけ音がデカい(スピーカ1本だけが大音量で鳴っている)場合に、一時的に定位をセンターに寄せてやる(スピーカが2本とも大音量で鳴る)ともっとデカい音になるよね、片方空いてるなら両方使おうよと、そういう話である。
でこの「音をセンターに寄せる」というのは、ステレオ音声をM-Sマトリックス(詳しくはちょっと変わった活用法のページの差分増幅の項を参照)にかけた場合のS成分を小さくするのと同義である(S成分にどんな加工を施してもM成分をイジらなければ、少なくとも理論上、定位が動くだけで「左右合計の出力」は変わらない)。
片方のチャンネルだけ音が大きいときにS成分を小さくするということは、左右のチャンネルのRMSの差(または一定区間のピーク音圧の絶対値)をトリガーにしてS成分にコンプをかけてやればよいということになる(実際に演算してみたわけではないが、単純にピークコンプをかけると「左右のチャンネルが両方大音量で、かつ左右の音が大きく異なる」場合に音がセンターに寄ってしまうと思う)。さらに、低音ほど定位感を感じにくいので、マルチバンドコンプで低音だけ大きく潰すことが多い(ピーク音圧に与える影響も低音の方が大きい)。
結局「M-SマトリックスでS成分を取り出す>キーインつきのマルチバンドコンプで低音域を重点的に潰す>ステレオに復元する」という作業で「片方のチャンネルだけ音が大きい部分で低音ほどセンターに寄る」ことになり、スピーカを2本使える分音がデカくなりますよ、というのがMS Compressionである(実際のツールを解析したわけではないが、大枠ではそんな感じのはず)。
そもそもの話として、単に低音をセンターに集めたいならPAN調整(というか定位操作)の時点で(たとえば定位の問題のページで紹介したGreg SchlaepferさんのBinaural SimulatorやMildonstudiosというサイトで配布されている3D Pannerのようなツールを使って)処理しておくべきで、後からイジるのはあまり賢明でない(中高音域はどうせ大きく動かせないわけだし、当然ながらヘタな設定でやると定位が寄ったり広がったりしてキモチワルイ音になる)。このページの冒頭でも触れたように、シンセを多用する曲で低音を含む音色が左右に動くような場合には有効だろう(トータルでかけずにチャンネルにかけた方が無難じゃないかと思う)。
音圧の上げ方について、読んでいる人に伝わっているのかどうか怪しそうな説明をたまに目にするので、いくつか触れてみたい。
編曲(アレンジ)の段階から音圧を上げるための仕込が必要だという説明。仕事率の意味で音圧と言っているなら低音を増やせばよいし、ラウドネスの意味で言っているなら3KHz周辺の音を増やせばよい。平均音圧が問題なら極端な大or小音量パートを避ければ(=ダイナミックレンジを狭く使えば)よい。単純に「圧迫感で塗りつぶしてどんな音が鳴っているのかわからなくしたい」なら、バスドラムのような断続的低音と分厚いパッドとズカチャカした高音を入れればよい(歌モノの場合3KHz周辺だけヴォーカル用に狭く空ける)。ファズをかけたギターや矩形波系のシンセなど「音圧が高い楽器」というのもないではない。
リバーブをかけると音圧を上げにくくなるという説明。もともと「時間空間系>歪み系」という順序での加工は(歪み系で過激な加工をする場合とくに)やっかいである。リバーブをかけた音源をコンプで強く潰してやるとわかるが、リバーブ成分が「不規則で奇妙な濁り」に変わりやすい。ロングディレイ>ディストーションの順にかけてやると、もっと顕著にグチャグチャになる。残響系のイフェクトはダイナミックレンジを広く使うものが多く、後段で叩き潰されるとバランスが崩れやすい。マキシマイザーの後にトータルリバーブという案もなくはないが、飽和状態まで音圧を上げてからさらに音を足しても、濁りにしかならないことが多い。また、リバーブに弱いということはライブな環境やオフめのマイクに弱いということでもあるので、デッドな環境やオンめのマイクでの録音を心がける。
音域を埋めると音圧を上げやすくなるという説明。加工(線形なMS Compressionと単純なノーマライズを除く)で音圧を上げるということは結局、音を歪ませる(ハーモニックディストーションを付加してやる)ということで、過剰にやると高域が荒れやすい。動きの多い高音をあらかじめ混ぜておくと、これを覆い隠す効果がある(高域の音はもともと歪みにくい、というか、ハーモニックディストーションが付加される余地が少ない)。また、低音はピーク音圧の割にラウドネスが稼げない一方、時間軸での密度に対しても鈍感なので、中音域に音を集める場合にはタレ流さない(極端な低域だけさっさとリリースする:現実的には、低音部のみアタックのやや遅いコンプでベッタリ潰す)。