炒め以外の中華料理も作ろう


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ぶっちゃけ筆者もよくわかっていないメニューばっかり。かなりいい加減なレシピなので眉に唾をつけて読むべし。中華のコースは(もちろん地域や主義主張によってバリエーションがあるがたいてい)、前菜(冷菜and/or涼菜)>湯>大菜(主菜:肉and/or魚介and/or野菜)>飯and/or麺(主食:分類上はこれも鹹点心)>点心(鹹点心and/or甜点心)と進み、盛餐とか全套とか呼ばれる豪華な食事だと全部のステップで複数の品が出てくる。



茹でるor煮る料理

紅燒は練習中だが難しいな、これ。他に代表的な煮る料理法として烹(ポウン:さっと煮る)と燜(メウン:じっくり煮込む)があり、どちらも揚げるか炒めるかしてから煮る、らしい。


砂肝の冷菜

中華屋でオツマミといったらこれじゃないかと思う。

砂肝は茹でこぼすか熱湯で洗い、ネギ生姜酒で沸騰から10分くらい茹で、冷やして片にする。塩1:ごま油1に醤油と花椒を少し足したものをふりかけ、長ネギの絲も加えて混ぜる。盛り付けて白ゴマを振り、お好みで針生姜やにんにくを細く切ったものを添える。

中華でよく使うモツというとレバーとこの砂肝なのだが、夫妻肺片(商品名らしく涼拌廢片が料理名なんだとか)という牛モツの冷菜(ボイルして切ってタレをかける)なんかは、タン、ミノ、ハツ、レバー、その他なんでもいろいろ使う(ソースの作り方は人によってバラバラ:基本線になるのは、ラー油と花椒と香味野菜を使う、ということくらい)。

余談:煮る料理ではないが、ザーサイ(搾菜:茎の根本側が瘤状になった部分を食べる)の薄切りも、中華屋では代表的な冷菜(兼ツマミ)のひとつ。スライス済みのものも売ってはいるが、塊を丸ごと漬物にした缶詰(四川省の特産品で、ラベルの表記が正確なのであれば、筆者は他の産地のホール缶を見たことがない:台湾や、関東の一部地域でも商業栽培はしているらしい)で買ってくるのが普通で、包丁でスライスしてから水晒しで塩抜きしてよく絞る。単品で食べるときは小皿に乗せてごま油と微量の醬油をかけるだけなので、たいへん素早く出せる(サラダ系の料理のほか、炒め物やスープにも使える)。


中華粥

北京などでは白粥(朝食として人気)、広東などでは味つきで具が入った粥が好まれる。どちらも「米がメイン具材のスープ」的なイメージで、飯粒が割れて花が咲いたようになるまで煮込むのが特徴(そうでないのも多分あるけど筆者は知らない)。実はけっこう上級の料理で、中華屋のメニューに粥があったらかなり本格的な店だと思ってよい(煮るところだけで(どんなに簡略化しても)30分はかかるので、手間の問題もある)。なお、粥は生の穀物から料理するものを指し、飯に汁をかけて食べる料理は泡飯(ポーファンまたはパオファン)という。材料は必ずしも米とは限らず、日本にも小豆粥(もとは中国南部から伝わったらしい)や五穀粥があるし、中国には小豆(紅豆:現在の日本のものとはちょっと違う)や緑豆やあわ(小米粥)などの粥があるそうな。

味をつけないものは浸水時間を長く取る。米を(研がずに)洗って、冷蔵庫で4時間くらい水に晒し、適宜上下をかえながらざるで30分くらい水を切り、米1合に対し油大匙1くらいをまぶしてさらに15分、米の7~12倍程度のお湯を沸騰させて、強火のまま米を入れ、軽く煮立つ程度の火力にして、焦げ付かない程度に底からふわっと混ぜながら煮る(水分が減ったら適宜足すが、最初からジャストの分量で煮た方が仕上がりがよいと思う:米が膨らみ切った状態で(デンプンが溶け出るのでとろみはつくが)「スープ」がちゃんと残るように)。同じ火加減でも、だんだん沸騰しやすくなってくることに注意。米が割れて花のように膨らんだらできあがり。塩を一つまみ入れて、香の物、揚げワンタン(ワンタンの皮だけ揚げた物)、松の実やクコの実やゴマなどを、まぶすか添える。お湯の代わりに戻し汁系のダシ(魚介とかシイタケとか)や、ちょっと邪道だが昆布ダシを使う手もあるし、酒を大匙1くらい入れて煮る人もいる。味あり味なしともに、油条(読みはヨウティウだと思っていたが、調べたらヨウティヤオとかヤウティウというらしい)という揚げパンのようなものを添えることも多く、浸して食べるほか、具として粥に入れてしまうこともある。

味つきのものは、米を炒めてから熱いスープ(普通は鶏湯だと思う)を入れるのが基本。短粒米でも作れるし、長粒米のほか、もち米を使うものもあるそうな。干して戻した魚介やシイタケなどを具にして、塩・酒・醤油、醤系調味料(とくにXO醤とか)あたりで味付ける。ごく一例として、米を洗って、しっかり水を切り、多めの油(米0.5合に対し油大匙1~1.5くらい:米が油を吸うのでケチらない方がよい)で透き通るまで炒め、米の10~15倍程度のスープと具材を入れ、軽く煮立つ程度の火力にして、焦げ付かない程度に底からふわっと混ぜながら煮る(沸騰後60~90分くらいでスープにとろみが出てきて、焦げ付きやすくなるので注意)。油は糊に練り込まれるのに任せて捨てない(らしいのだが、筆者はワックス状の灰汁は捨てているし、スープを入れた後最初に浮かぶ油も捨てる)。米が割れて花のように膨らんだらできあがり。調味料を混ぜ、盛り付けて仕上げ油をたらし、薬味を入れたら完成。ネギのほか、ゴマや松の実などの薬味があるとなおよい。薄味に仕上げて、盛り付けた後にサラっと塩を振るのも一案。米1合にスープ2リットルで具とか調味料とかもろもろ入れたとして、できあがりは2.5リットル(1人前12両なら5人前)くらいか。野菜類を入れるときは煮すぎるとえぐ味が出るので、量や入れるタイミングを調整する。仕上げる少し前に生姜やネギを少し足す案もある。

筆者は味つき粥に保温鍋を使っている。導入当初はスープにとろみが出てきたタイミングで保温調理に移っていたが、だんだんものぐさになって、沸騰したらすぐ保温>2時間くらいで再沸騰>また保温で済ませるようになった。米の水分については諸説あり、洗った後半日くらいかけて米を乾かしてから煮るレシピもあるらしい(試したことはない:乾かした米を包丁で叩いて割るという方法もあるそうな・・・なんかすごく中国っぽいよね)。実用上は、米を割れやすくして煮込み時間を短縮する必要もあるし、多くの中華屋では研いで水を切った米を冷蔵して使っている都合もあって、米の状態と相談しながら炒め方を調節する(油が回る程度~透き通るまで~白くなるくらい:米が乾いているときは軽めの炒め)のが現実的だろう。白粥的なレシピは、粥の専門店やコース料理の一部で出されることが多いために、時間を豪華に使うやり方が多いのだと思う(多分)。


スープ

テキトーな野菜(ニンジンとタマネギあたりでよろしかろう:マッシュルームとかも面白い)を荒みじん(鬆)にして炒め、スープを入れ、塩と醤油で味をつけ、片栗で軽く(ホントに軽く)とろみをつけ、ごま油をたらし、長ネギの絲(というか白髪ねぎ)を薬味にする。ぶっちゃけ、ごま油さえ入れればたいていのスープは中華風になる。なお、レトルトのシチューくらいまで片栗を強くしたものは羹(コーンスターチを使うこともある)、コーンポタージュみたいな漉すとろみスープは濃湯と呼ぶ(らしい)。香露燉花菇とか白菜肉丸湯といった蒸して作るスープもあり、かなり高級かつ上級の料理(ただし直接蒸すのでなく茶碗蒸しのように蓋付き容器に入れ、80~90度の温度を維持するためにせいろを使う:壷蒸しスープと称することもある)。

卵スープにするときは、卵黄1:卵白2くらいの割合で溶いておき、スープを軽く回し、鍋底に届くか届かないかで固まるくらいの加減で細く流し入れ、半呼吸置いて底からやさしく混ぜる(お玉から菜箸を伝わらせて回し入れるとラク:少し高いところから落とすと鍋の中で卵の移動速度が速くなり、結果的に効率よく固まる)。卵で温度が下がるため、分量が多いときはコンロの火を落とさずに卵を入れる(沸騰しない範囲で高温にしたい)。どうも、鍋底を流れる動きがあった方がよいようで、底が平らな鍋よりも中華鍋の方がやりやすい気がする。

辛いスープは麻辣湯(マーラータン:中国山椒と四川唐辛子のスープだが、普通のスープに麻辣醤を入れればとりあえずマーラータンですと言い張れる)と酸辣湯(サンラータン:酢と唐辛子のスープ)が有名。麻辣湯は朝鮮料理の肉狗醤湯(ユッケジャンタン)ほど有名でないが、一時期やたら出店が多かった火鍋は白湯と麻辣湯の組み合わせが主流だった。余談になるが、中国には東北地方を中心に朝鮮族と呼ばれる人たち(都会人としての自負が高く差別的な態度を嫌う日本の都会の中国人でさえ「あの子は朝鮮族だから私たちとは違う」と口にするくらい勤勉で優秀:日本人である筆者から見ても信じがたいレベル)がおり、延辺料理は日本でも食べられるところがけっこうある。

さらに脱線すると、麻辣湯と発音が似ている「麻辣燙」(または麻辣烫:燙は第四声で湯は第一声(のはず)なので、同じ発音ではない)は「辛くてスパイシーで熱い」料理の意で具体的な料理名ではない、と筆者は思っていたのだが、料理としての麻辣湯を指して言うこともあるらしい(まったく未確認)。辣椒というのも(「麻」の代表が花椒なわけだし)麻辣と似た意の言葉だが、前者の方が使い方が広く(というかバラバラで)、リキンキ(李錦記:2023年現在の本社は香港だがもとは広東省の会社だったらしい)なんかは「タバスコのマイルドバージョン」みたいな雰囲気の「辣椒醤」を出している。

話を戻そう。スープ関連は用語が混乱しており、一番だしを鮮湯または高湯または上湯、一番だしをひき肉や卵白などでさらに澄ませたものを上湯または頂湯、金華火腿(ブランド品の中華ハム)を使う高級スープを上湯または頂湯、2番だしを二湯または毛湯、単に「いいスープ」の意味で上湯または清湯、というらしい(これらはほぼすべて葷湯の清湯=透明な動物スープ)。毛湯を2番だしの意味でいうときは、暗黙に、鶏湯のダシガラにトンコツを加えて作る方法を指す(のだと思う:毛湯に必要なのはトリガラのフレッシュな部分よりもクセと深みがある部分なので、必ずしも廉価版のスープではない、というか漉している時点で高級スープの部類だと思う)。

ベースとなるスープで普通に使うものは、鶏の胴ガラメイン(+手に入ればひね鶏の丸とかもみじとかネックとか)の鶏湯か、鶏湯に豚のゲンコツ(+もったいなくなければモモかスネ)を足した毛湯のどちらかで、前者の方が使いやすくシンプルな風味になるが、後者の強い旨みも捨てがたい(作り方は最初のページで触れたので繰り返さない)。実用上は、鶏ガラでスープを取りながら蒸鶏とチャーシューを茹でると鶏湯でも毛湯でもないもどきスープが取れるので、これを使うのが手っ取り早い。なお、フランス料理のブイヨンと鶏湯や毛湯の違いは、使う野菜の量と種類や煮込み時間の長さである(ブイヨンはタマネギやセロリなどを多用し比較的長時間煮込む:モミジ使うときに爪を切るんだってさ)。追記:ネットでいわゆるレシピ動画(https://www.youtube.com/watch?v=ioGo3fajn5U)を見たら、有名なシェフの人がガラを下茹でなしで(初回は気合で油と灰汁を引いて、一度漉した後は中華の上湯みたいに卵白に吸わせて)使ってた。根性あるなぁ、フレンチの人。



麺類

ここまでにも何度か触れているように、大したことはしない。茹で麺器で麺を茹で、湯切りして、丼に入れて整え、スープに味をつけてかけ、トッピングをいくつかしたらそれで完成である。基本的には中華鍋で仕上げたスープ(湯)を丼に入れた麺にかけるスタイルだが、汁あり担々麺なんかは日本式の醤油ラーメンなんかと似た感じで、丼の中でチーマー醤とタレとラー油を合わせスープで溶いてから麺を入れる。あんかけ系の汁あり麺も、スープ>麺>餡の順になるのが普通(というか、茹麺器に麺を入れてほぐしたら餡の材料を炒め始めるので、スープは丼の中で合わせないと場所が足りない)。この影響なのかどうか知らないが、いわゆる醤油ラーメン的なメニュー(たいてい単に「ラーメン」と称する)は鍋を使わずに調理が完結するようになっていることが多い。あんまり中華っぽくない料理だが、セットものとして重宝するし、厨房の回転を上げられることもあって、メニューに置いている店がけっこうある。

余談だが、ラーメンの(少なくとも名称上の)由来になったと思われる蘭州拉麺(蘭州牛肉麺)は、もともとは清真料理(回族などを中心に食されていたハラール料理)らしい。牛肉麺(スープも牛スープなのが普通)自体は他の地域にもいろいろあり、日本では台湾式のものが有名。他に変わったものでは羊肉烩面(ヤンローフイメン:きしめんのような平べったい麺を使う)というのもあり、羊のスープで食べるそうな。また汁なしの麺料理でも水で冷やすことはあまりなく、冷やし中華の元になったといわれる涼拌麺(リャンバンメン)も麺は冷ますだけ(なんでも、衛生的な冷水が入手しにくかったことが理由らしい)。

一般的な什錦湯麺(いわゆる五目そば、メニューではたいてい「タンメン」か、アタマが野菜メインなら「野菜タンメン」とすることが多い:「湯麵」自体は単に汁ありの麺類を指すし、小麦粉を練った食品全般を指して「麺」と言うこともある)は、具材を炒めて、スープを入れ、味付けて麺にかけて作るのが一般的で、いわゆる味噌ラーメン(中華のメニューではないが味付けが味噌味に変わるだけなので出している店もある)の場合も作り方はほぼ変わらない。スープも、以前の記事で紹介しているように鶏ガラに豚ゲンコツを足した平凡なスープがほとんど。ちょっと違うとしたら仕上げ油を使うところで、たいていは鶏油を使う(ごま油を足すこともある)。この系統の麺類は炒めだけ普通にやれていれば、奇抜な材料を使わなくてもしっかりした仕上がりにできる。これもすでに紹介したが、やわらかい焼きそばなんかも、具材を炒めて湯がいた麺を入れるだけで、普通の炒めものと大差ない。米粉(ミーフェン:ようするにビーフンのこと)は麺(ミェン:小麦粉で作る)とは区別される食材だが、焼きビーフンもほぼ同様に作れる。

いわゆる醤油ラーメンを出している店でも、中華屋が使っているタレはそう大したものではなく、チャーシューのつけダレ(醤油と酒と砂糖を混ぜてアルコールを飛ばしたもの:日本料理のカエシは醤油:みりん:砂糖=5:1:1くらいらしいから、それよりはやや甘め)にちょっとしたダシを加えた程度のものが多い(ネギ・ショウガ・ニンニクあたりを利かせることはあるかもしれないが、香味はタレに入れなくても後から足せるからねぇ)。同じ中華でも、四川料理(ないし川味メニュー:四川風の意で、日本に住んでいる中国人になら「せんみ」で通じる)や台湾料理の店なんかでは、もう少し複雑なタレを使っているところもある。みりんはほぼ使わない、というか置いていない店の方が多いと思う。塩味にする場合、単にスープに塩と酒を入れるだけなのが普通だと思う。



揚げる料理

包丁はセンス、炒めは性格、揚げ物は心がけだと習った。揚げ油は使う都度カスを掬って泡が出なくなるまで(温度を上げすぎないように)火入れしよう。糖醋魚は前のページで紹介したのでここでは触れない。まったくの余談だが、台湾では天麩羅が天ぷらで甜不辣が薩摩揚げのことらしい(西日本や北海道の一部でも天ぷらといえば薩摩揚げのこと)。日本語の「揚げ物」は「油炸(ユージャー)」だそうな。


油淋鶏

油をお玉で回しかけるからユーリンチーと呼ぶのだろうが、これも焼豚や蒸鶏と同じで、ほとんどの店では単なる唐揚である。タレもごく基本的なもので、ネギ生姜に醤油1:酢1:砂糖1のごま油が基準で、砕いた揚げニンニクを加える人もいる。中華おこげなんかでもそうなのだが、揚げたての食材にソースをジュっとかけると香りが立つ。鶏モモは豚肉ほどクセが強くないので、筋切りして、肉の側に隠し包丁を入れて、塩コショウを振って酒を吸わせて、片栗を薄くまぶすくらいでも大丈夫。揚げ油は煙が立たない程度(170~180度くらい)。付け合せはレタスかキャベツにトマトというのが一般的だと思う。

下ごしらえのとき、鶏肉はカンピロバクターやサルモネラのリスクが高いため、流水洗いを避ける。中華屋式の沈め洗いはやり方によっては可能かもしれないし、鶏レバーを使うときはさすがに水晒しするだろうから、洗うのが全面的にダメというわけではないのだろうが、飛沫が飛ぶような洗い方はしてはいけない(同じ理由で鶏肉が入っていた袋やトレーも、店では普通洗わないと思うが、キッチン内で流水洗いするのはよくない)。調理後の器具消毒も念入りに。

鶏肉のチャンを念入りにやる場合、豚肉と大差ない感じ(酒3:醤油3:酢1、葱と生姜適宜、テンプラにならない程度の卵と片栗、油を回して休ませ、油通し:油通しという表現が適切なのかどうか自信がないが、ようするに2度揚げの1回め)でよいのだが、漬け込み系の下ごしらえもけっこう合う(このとき使う漬け汁は、ソミュール液とかピックル液とかマリネ液とかブライン液とか塩せき液とか、いろいろな名前で呼ばれる:「えんせき」は「塩漬」と書くそうで、同じ読みでも「塩析」はタンパク質を塩類で沈殿させる(豆腐作るときとか)技術で別物)。漬け込み時間は人により幅が大きいものの、筆者は15分も漬ければ十分だと思う。マヨネーズを使うレシピも一般的なようで、漬け込み系の下ごしらえの最終段にも使えるかもしれない(要するに酢と油と卵なので、上記の要領でチャンをするならことさら追加する必要はない)。筆者の好みとしては、煮込みや茹で、油で揚げるにしてもチキンカツならむね肉もありだろうが、から揚げにするならやはりもも肉だろうと思う。

なお、普通の唐揚は炸子鶏または炸子鶏塊(若鶏をブツ切りにした揚げ物の意)と呼ばれ、薄力粉>片栗粉の順に粉を振るか、粉の前に卵をうっすらと纏わせることが多い(多いだけ)。ユーリンチーとジャーツーチーとタンツーチーを分ける基準は何か、と考えても人や地方によってバラバラ。筆者のイメージとしては、タレをかける唐揚がユーリンチー、あん(溜)をかけるのがタンツーチー、それ以外がジャーツーチーなのかな、といったところ。衣をスパイシーにする場合は椒鹽(ジャオヤン:椒がスパイスで鹽が塩)というらしい。


包みもの

餃子とか雲呑とか春巻きとか。筆者は皮から作ったことはない(普通は麺屋さんから買う)が、中身を作るときのコツは2つ。ひき肉はよーーーく練ること、野菜は水気を抜いて使うこと(そこそこ大きい店では専用の野菜絞り器を使うが、中華屋以外には普通ないだろうから、湯通しして布か袋で絞る)。餃子を巻く(餡を皮に包む)ときは専用の餃子箆を使い、水はつけないのが普通で、1個10秒のペースで巻き続けられれば熟練レベルである(中国人がやっている個人経営の店の「おかみさん」はたいてい異様に速い:北の方に多いひだが小さな巻き方より、南の方に多いひだが大きな巻き方の方が、個数を巻きやすいと思う)。

この記事を公開してからかなり経つが、いわゆる「レシピ」を紹介していなかった。といっても、グラム数でいくらという数字は筆者は知らない(興味を持ったこともなかった)ので思い返しながらの推測でしかないが、餃子の餡の場合おそらく、肉と野菜(たいてい大部分がキャベツ+ニラ少し、時期によっては白菜が入る)が絞る前の重さで1:5くらいじゃないかと思う(肉1キロにキャベツ4玉とかそのくらい)。ひき肉を白くなるまで練って、みじん切りにして絞ったキャベツを混ぜて、手触りでザラっとするくらい(パサっとする手前くらいだと野菜餃子、柔らかさを感じるくらいだと肉餃子になる)に練り上げ、調味料とニラを入れてもう少し混ぜ、ポットに入れ空気を抜き冷蔵庫で休ませる(ラードが入っているので温度が下がると硬くなるはず)。味付けはけっこうしっかりというか、タレを付けなくても(薄味だけど)食べられはするくらい。これも何グラムだと聞かれると筆者は困るのだが、肉1kgに野菜5kgが絞って1kgだとして仕上がり2kgなら、ショウガとニンニクと酒と醤油が100gのラードが200gくらいじゃなかろうかと思う。もちろん、ラードは肉の品質(ひき肉の油の量は日によって違うはず)で調整する。

キャベツの水分はしっかり抜き、パン粉くらいの手触りになるまで絞るのが理想。絞り器がないと難しいだろうと思うが、水分が多いと焼いたとき中で汁が増えすぎる(むしろ、キャベツに汁を吸って欲しい)。しっかり絞れないときは分量を少なくするしかないと思う。ラードはほとんどの店で使っているし、卵黄を入れるというのも話は聞いたことがあるが、粉物のツナギ(片栗粉とか小麦粉とか)を入れるところは聞いたことがない(業務用の完成品の餡にはほぼ必ず入っている:というか過剰にコナっぽいものがほとんどなので、肉を足して使う店もある)。ショウガとニンニクはテーオーのすりおろしプラボトルを使ってる店がほとんどだと思う。微妙なのが砂糖で、入れてよくないようなものでもないと思うが、あまり多いとクドくなる。ごま油は焼くとき(茹でた場合はつけダレ)に使うので餡には練り込まなくてよい(入れるのを止める理由もないけど)。餡に冷ましたスープを混ぜる店もあるが、筆者の意見としては、水分は極力減らして中のキャベツが汁を吸える状態にした方が、仕上がりがよいと思う。焼くときは専用の餃子台を使い、並べて、水を入れて、茹でて、湯を捨て、ごま油で少し焼いて仕上げる(中華屋の麺類の作り方がラーメン屋さんとは異なるように、餃子の作り方も焼き方も餃子屋さんと同じではない、のだろうと思う)。

雲呑は餛飩とも書き、上海では小餛飩(散蓮華でスルっと掬えるサイズ)と大餛飩(餃子よりちょいデカくらいらしい)に分かれており、揚げワンタンというと、小餛飩を揚げたものを指したり、雲呑の皮だけを切って揚げたトッピング具材だったりする(後者を指すのが普通だと思うが、前者は前者でおいしい)。餡は少なめで、茹でて食べたときに皮と餡が半々に味わえるくらいの量。これを中華スープにジャカスカ入れて食べる。巻くときは割っていないワリバシの太い方をヘラにするのが標準だと思っていたが、スプーンを逆さにして使う人もいるらしい。

餃子は、茹でても揚げても焼いても蒸しても食べられる面白い料理で、中華屋の焼き餃子は茹でてから蒸し焼きにするような感じで調理する(途中で水を捨てて油をたらす)。餃子台にも水道の蛇口と排水口が付いているのが普通だが、大手の餃子専門チェーンなんかでは水を捨てない餃子台を使っているところもある(最初からジャストの水量で焼いて、水を捨てる工程を省いているのだろう:日本風の皮が薄い餃子には合うのかもしれない)。中国で主食扱いされることが多いのはわりとよく知られていると思うが、日本人がやっている中華屋では「ワンタンメン+チャーハン+ギョーザ」なんていうセットが普通にあるのだから面白い(香港飲茶にしても上海飲茶にしても主食っぽいものがザクザク出てくるのでどっちもどっちだとは思う)。

もうちょっと正確には、まず料理が菜(主菜となる大皿料理の大菜、前菜になる冷菜と涼菜:冷と涼の違いはよくわからず、地方によるのかもしれないが、涼粥とか涼湯とか、本来熱い料理に涼ないし凉の字を使うのかも)と湯(スープ)と点心(その他全部、點心とも:台湾の居酒屋料理として熱炒なんてのもあり「全部」は言い過ぎなのかも)に別れ、コースだと冷or涼菜>湯>大菜>飯or麺>点心の順に出てくる。点心は甜点心(テン=甘味:基本的にはデザート)と鹹点心(シェン=塩味:というか甘くないもの全般)に分かれる。この鹹点心というのが(例によって)やたらと語義が広く人や地方によって使い方が異なる厄介な語で、無難なところでは餃子、焼売、春巻、包子(肉まん)あたり、麺類やご飯ものも含まれることが多い(朝食用の粥も点心だが、地域によっては粥を前菜として出すこともあるそうな)。広州市周辺の廣式點心と香港のものなどが有名。飲茶は中国茶と点心をセットにしたもので、同様の習慣自体は広東省周辺に広くあるらしい(イギリスやオーストラリアのハイティーにも似ている、ところがあるような気がする)。点心とツマミ類の総称として、または点心の同義語として小吃ということもある。


中華おこげ

炊いた飯を平べったく押しつぶし、干して、高温の油で短時間揚げる(膨らんだら取り出す)。揚がったらすぐに味付きのスープをかけて食べる。


ごま団子

芝麻球(チーマーチュウ)というらしい。中華のデザートといったらこれだと筆者は思う。杏仁豆腐(薬膳で出されるものを除いて杏仁(きょうにん=アンズのタネ)は入っていないのが普通)では断じてない。実は、紹介はしたものの作り方がわからなかったりする。胡麻餡(練り胡麻を混ぜたあんこ)に白玉粉の生地が基本らしいのだが、點心は膨大に手間がかかるのが多いんだよなぁ。ごまプリン(中国語だと布丁または布甸らしく伝統料理ではないが、ゴマ、マンゴー、ライチなんかを使ったプリンが専門店でも出されている)も作れるようになりたいなぁ。



中華屋に秘伝のレシピなし(オマケ1)

家族だけでやっているような小さな店を除いて、ほとんどの中華屋にはレシピを秘密にする文化がない。というか、人の入れ替わりが激しいので秘密にしようとしてもできないし、従業員同士でも「あそこの店ではこうやって作ってる」とか「ここの店では何を入れてる」なんてことをよくしゃべる。無数にあるレシピの中から最適なものを選び調整を加えて使うのが中華屋の流儀であるし、だいたいが、作り方や材料(少なくとも同業者にとっては、何の変哲もないことがほとんど)がわかっても技術が伴わないと上手く真似できず、ソックリなものを作れたとしても自分の店の仕入れやメニューと噛み合わないと客には出せない。

ただ、中華屋で「これどうやって作ってんの?」と聞いても、教えてもらえる見込みはあまりない。というのは、作っている人はずっと厨房の中だし、ホールの人たちは作り方なんて知らないし、ここまでいろいろと紹介してきた中華独特のやり方を素人に説明するのも面倒だし、教えたところで中華屋の厨房でないと真似できないこともあるから。本当に教わりたければその店に料理人として勤めてみるのがもっとも手っ取り早い(そうやっていくつもの店で知識と経験を積み重ねている人も少数だがいる)。

なお、中華屋の中の人と仲良くなって、料理の作り方を聞くと、味付けについて「普通」という説明をされることがある(と思う、数を聞けばほぼ間違いなく)。これは専門用語でも隠し立てして言っているのでもなく、その料理の味付けとして常識外れなほど極端なバランスにしなければだいたいまとまりがつく、あるいは味付けの部分を柔軟にやれるという趣旨である。実際、同じ作り方で調味料だけ変えて(たとえば塩味のものを醤油味にするとか)バリエーションにしているメニューもよくあるし、そもそも中華屋のテーブルには調味料がいろいろと置いてあって、食べる人が好きに味を付けるのが普通である。

他の飲食店のことはよくわからないが、ホテルの厨房(やっぱり人の入れ替わりが激しいからなのかねぇ)なんかもレシピにはオープンなところが多い。ただここも、作っている人は(よほど偉い人でなければ)まず前に出てこないところなので、作り方を教えてもらおうと思ったら、中の人と個人的に仲良くなるのがやっぱり一番手っ取り早い。



買い物に行こう(オマケ2)

中華屋の仕入れはほとんど出入りの業者任せだし、業者選びの話をしたいわけでもなく、普通に家で食べる食料の買出しについてである(そもそも筆者は店の仕込を担当したことがない:在庫管理はずっとやってたけど)。筆者は月に何日か自由にまかないを作れる店にいたことがあり、買出しはけっこう楽しかった(ただし店のメニューでないものを作るときは自腹:その日店に出る人の分全部だが、小さな店でせいぜい5人分くらいだった)。

思うに、技術的な意味で「買い物ができる」ようになるためには、3つの能力が必要とされる。ひとつは、店で並んでいる食材(と値段)を見ながら「こんなものが作れるな」と発想する力、もうひとつは方針が定まったあと「こんなものがあればもっと豪華に作れるな」と探す力、最後にそれらをうまく取捨選択して予算内に収める力(だって自腹なんですもの)。

店のまかないはある程度の見栄と緊張感があるからよしとして、家で自分が食べるものの買出しなんかはメンドクサイのが正直なところだが、ものを見る力や発想力を鍛える機会になるので、あまり疎かにしないように心がけたい。ただまあもちろん、買い物に行く前の段階の準備(香味油を作っておいたり、調理器具を自前で持って行ったり、いろいろな料理ができる技術と知識と経験を磨いたり)がしっかりできていることが前提になるのは言うまでもない。



中華屋と食材(オマケ3)

業務用と家庭用で使い勝手の差が大きい食材がいくつかあり、中華食材ではきくらげと鶉卵(ウズラの卵:じゅんらん)が代表的だと思う。キクラゲは価格差が大きく、中華屋でよく使う業務用(おそらく輸入物で巨大な布袋入り、1キロ3000円しないくらい)、普通の業務用パック(わりとよく見る篠崎のきくらげホールで100g1000円くらい)、家庭用の個包装(筆者が使っているエスビーの菜館木くらげで6gが120円)で、比較にならないくらいの違いがある。価格が違うものといえば、ラードの価格もかなり違う。中身も違うのかもしれないが、業務用の一斗缶だとキロ300円くらいのものが、業務用の1kgパックで1000円くらい、家庭用のチューブ入りだと2000円を超えるものも普通にある(ごま油だと、一斗缶でも600g瓶でも、単価的に2倍までは変わらないんだけど)。やっぱり数が出ないものは価格が高くなりがちなのだろうか。

ウズラの卵は(三鮮の考え方があるためか)中華料理に欠かせない食材で、業務用でも家庭用でも水煮缶を使うのは変わらないが、家庭だと分量的に使い切るのが難しい(天狗缶詰などのメーカーが少量パックも生産しているようなのだが、割高だし流通が豊富でない)。香味or調味料で家庭だと使い切りにくいものというと、やはりチーマー醤だろうか(名前は「醤」だが味はついておらず発酵もさせていないのが普通で、練りゴマとの違いも曖昧:ユウキの製品だと練りゴマよりチーマーの方が少し炒りが深いのかなといった違いにしか見えないし、かどやは「芝麻醤(皮つきねりごま)」という表示の製品を出している)。すりゴマにごま油を加えて練るだけなので、グラインダー(ミル)さえあれば店でも作れるが、価格的なインパクトが大きくない(たぶんキロ単価で2割くらい)のと、ごまに使うとグラインダーの手入れに手間がかかるので、自家製にする店はほとんどない(タンツーとかマーボーだれなんかは、既製品もあるがたいてい店で作る)。

まかないを作るとき、野菜類はほぼ無尽蔵に使えるが、チャーシューなどの単価が高くて仕込がメンドクサイ食材はあまり派手に使うとに睨まれる。上でちょっと触れたウズラの卵なんかは、店でも(卵が入らないメニューばっかり出て)微妙に使い切らないことがけっこうあり、発注の担当者が自分で始末したり、まかないを作るときに「アレ使い切っちゃって」とお願いする(orされる)こともある。他にも、キクラゲを戻しすぎたときや、卵を割りすぎたとき、米を炊いてしまいたいのに微妙に余りそうなときなど、とくに若手には「あれ使って」リクエストが飛ぶことがよくある(そういう場面で「じゃあこうやってみようかな」とセンスを発揮できると、仕事上の評価にはほとんど影響しないが、料理人仲間の間ではちょっとした得意ヅラができる)。

技術的な競争という意味では、たまに中国人従業員が持ってくる中国野菜なんかもいい材料。同じ中国出身者でも、ホールの人が生の食材を店に持ってくることはほとんどなく(帰省したときに、お茶とかお菓子、酒やたばこなんかは持ってきてくれる)、野菜や加工食品を(日本国内の中華食材店で買って)持ってくるのは決まって厨房担当である。日本人の厨房担当は、中華屋でしか働いたことがない料理人でも和食や洋食に使う食材(ただし魚はごくまれ)を持ってくることの方が多い(他でも触れたように中華屋のまかないはけっこうユルく、自腹なら食材は持ち込んでよしとする店が、少なくとも平成の中ごろまでは多かった:なぜか知らないがカップ麺好きも多く、まかないのお供にカップ麺を食べている人もいた)。



味は好き嫌い、仕事は良し悪し(オマケ4)

料理人が他人の作ったものを「味で評価」することはあまりない。常識外れの変わり者がやけに多い業界なので間違いなくそうだとは言い切れないし、人間なので極端にウマイものやマズイものを食べれば思わず口に出てしまうこともあるだろうが、料理の味を云々したがるのは浅はかな(あるいは傲慢な)ことだとみなす文化が、少なくとも平成のなかばごろまでは(細々ではあっても)生き残っていた。ヨソで食べた料理を褒めるとき「うまいね」ではなく「いい仕事してるね」と言うのが、今でも普通のことなのかどうかわからないが、筆者としては普通であって欲しいと思う。

この心得は、外でものを食べるときの礼儀として重要(メシ屋の「レクリエーション」はほとんど飲み食いに関わるものばっかりなので、食べ方の作法がなってない人は尊敬されない:その割に酒癖が悪い奴は普通にいるし、世間の水準と比べればあまり非難もされない)なだけでなく、自分の仕事についても同じことがいえる。いい仕事をするところまでが自分の領分で、それが気に入るか気に入らないかはお客さんの好み、と線を引くことで、じゃあどうやって自分にできることをしっかりやるのかという意識をはっきり持てる。この「結果を委ねてしまう」態度は、現代的なビジネスの考え方からは不十分と見做し得るものかもしれないが、職人的な仕事には普遍的についてまわるものだと思う。

一周回って食べる側に戻ると、他人が作った料理を食べるときに、うまいまずい、気に入る気に入らないとは別のところに尺度を立てられること、いわば職人の心意気を味わうような楽しみ方ができることは、食べる人にとっての楽しみを大きくするだけでなく、腕を振るう側にとっても光栄なことだと思う。



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