編集関係の情報を漁っている人の需要としてもっとも大きいであろう「下手な歌を上手そうに編集する方法」をいくつか紹介する。ヴォーカル以外の楽器についても触れるが、あくまでメインは「歌」である。
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筆者は「厚化粧の編集」が嫌いである。また、たとえば打ち込みで「ヒューマナイズ」のような処理をするのも嫌いである。ただ精神論だけで嫌だというのではなく、音楽的に「ノれない曲」「のめりこめない曲」が出来上がるのが気に入らない。
正確無比な音を延々と並べるといかにも無機質な感じになるのは周知のとおりだが、それを誤魔化すためにランダムな誤差で揺らしても「ただ不正確になるだけ」で、そこに「ノリ」や「グルーヴ」や「ライブ感」は生まれない。誤魔化すイフェクトの落とし穴のページでも述べたが、加工でミスは隠蔽できても「良さ」は作り出せない。
よいプレイヤーは常に「自分の音」と「周りの音」を高い集中力で聴いている。そして全身を使ってそれに応答している。このやりとりに支えられるからこそ「揺らぎ」が「ドラマ」を生むのであって、単にばらつきがあればよいというものではない。これは熟練したプレイヤーに限って言えることではなく、どんな初心者であっても「自分なりの音」を何かしら持っている。
厚化粧をするということは、その「自分なりの音」をすっかり漂白して無味無臭にしてからデコレーションをすることに他ならない。これは空しい作業である。リンク先でも述べているように、筆者はミスを隠す加工自体に反対ではないが、それを作業の中心に据えるのはどうかと思う。正直に言えば「音程が合っているとかリズムを外していないだとか程度のことよりも大切にすべきもの」を持っていない人が音楽を作る意味を、筆者は理解できない。
しかしその一方で「どうせ厚化粧をするなら巧くやった方がよい」というのは事実であるし、技術的な好奇心から厚化粧を試してみたい人もいるだろう。そのような需要を少しでも満たすべく、「急がば回れ」の精神からは大幅に外れることになるが、厚化粧の編集をする場合の手順や注意点をいくつか紹介する。なお、サンプルファイルや図を作成する気力がないので、このページではテキストのみで解説を進める。
厚化粧の編集をする場合、オートチューン(ここではピッチ補正を自動処理するソフトやハードを総称して「オートチューン」と呼ぶ:無料ソフトを使った例を別のページで紹介している)と切り貼りを中心に考えるべきである。単体での効果云々ではなくて、作業全体に及ぼす影響が絶大だからである。これらの作業をどの程度行うかというところから全体の計画を立てた方がよい。
オートチューンを多用すると音が平坦になる。これを誤魔化すためにモジュレーションを入れる。しかしモジュレーションでは機械的な揺れしか作れない。これを誤魔化すにはコーラスやリバーブを入れて音を曖昧にするしかない。コーラスやリバーブが深くかかったモワモワとした音に合わせて伴奏も工夫しなければならない。
切り貼りにしても「最高のテイクに1箇所だけミスがあった」とか「ワンコーラスめだけ別テイクに差し替えた」といった場合はともかく、パートごとに録音をしてツギハギするようなケースでは(最高のテイクを選ぼうとすればするほどに)テイクごとの特徴や雰囲気を消す方向で加工しなければ(そしてそれを再加工で誤魔化さなければ)ならない。
こうやって雪ダルマ式に化粧が厚くなっていくわけだが、起死回生のヴォコーダー(ヴォイスチェンジャーの一種)でも使わない限り、やればやるほど無理が出てくるのは明らかである。つまり、最初の時点でどれだけ無茶をせずに済ませるかということが、最終的な仕上がりに大きく影響する。
聴き手の集中力が薄れる瞬間を狙って大きなモジュレーションを入れ、気付いた時には素の音声に戻っているとか、大きな修正をするパートの直前にある些細なミスをそのまま残しておくことで、聴き手に「自然な印象」を与えて押し切ってしまう、といった戦術も有効である(Avexのエンジニアはこの手の工夫に長けているような印象がある)。
音楽性に影響のあるミスとそうでないミスを判断するセンスがものをいうのだが、この意識を持って作業している人は非常に少ない。仕上がりが劇的に変わる要素なので、意識していなかった人は認識を改めよう。
シンプルなアレンジは極力避けるべきである。たとえばアコギ1本で弾き語りをするようなシチュエーションでは、LAのトップエンジニアでも(少なくとも2005年くらい~2008年現在の技術水準では)自然な厚化粧は不可能である。スタジオミュージシャンが演奏したアコギ1本にヴォーカルをオーバーダブする形なら・・・あるいは何とかなるのかもしれないが、相当難しいだろう。
ヴォーカルの無機質さを目立たせないために、ドラムスとベースは打ち込みにする。シンプルな構成を取らざるを得ない場合は、その他の楽器も打ち込みが望ましい(何かの事情で生楽器を使う必要がある場合は、生楽器のライブ感にヴォーカルが呑まれないよう注意)。フィルインにも「いかにもシンセっぽい」音を選んで使おう。大規模な構成で、かつ熟練したプレイヤーが確保できる場合は、旋律楽器1種類のみ生楽器にすることで全体のメカニカル感を緩和することができる。前に出してよい音は、ヴォーカル、ソロ、ドラムス、シンセなどによるフィルだけ、コード系の伴奏は同時発音数を少なく、ダイナミクスは圧縮して使う、などを原則にする。
伴奏の音色は厚くするのが基本。静かな曲の場合はパッド系のシンセを鳴らしつつ弦楽器系でアルペジオか何かを薄く入れておく。ヴォーカルにある程度干渉して構わない。打ち込みドラムスの音は前面に出す。ベースはぶ厚い(上まで倍音が出る)音色を選んで音量自体は前に出すぎない程度にする(音色がぶ厚いと、ベースアレンジが杜撰でコードやメロディを支える機能を果たしていなくても、なんとなく押し切れてしまう利点もある:ちょっと注意して聴けばバレバレではあるが、子供騙しくらいの効果は期待できる)。リード系のシンセ(モジュレーションをやや大げさに入れる)などでカウンターメロディ的なパートを設けた方が多分よい。賑やかな曲であればある程度ズボラにやっても大丈夫だと思う(ただし音数はむやみに増やさない方がよい)。ベースをぶんぶん鳴らして、弦楽器系伴奏は薄くするか入れず、シンセのフィルを多用するとバランスが取りやすいと思う。ヴォーカルだけは、あえて薄い音で録音してテイクごとの差異を吸収し、必要に応じて再加工して厚みを出す場合がある(いわゆる「アニメ声」を一度加工で作ってから作業するなど:非日常的な声にすることで加工が目立ちにくいという利点もある)。
ドラムスは「いかにも打ち込み」な音が許容される(しかもシンセと違って常に前に出ていても不自然でない)貴重な楽器なので、思い切って前に出すのが定石になる。完全に無機質で平坦な音が前に出ることで、ヴォーカルや弦楽器系など「自然さを期待される楽器」の平坦さに注意が向かなくなる。変に凝ってクネクネと動かさないようにしたい。
また、(後述するヴォーカルや前述のリード系シンセだけでなく)伴奏楽器に薄くコーラス(やモジュレーションやトレモロ)をかけておくのもほぼ必須になる。オートチューンで平坦になったヴォーカルとモジュレーションなしの打ち込みの音が重なると、まったく揺らぎのない和音ができて違和感が強まる。ベースにはモジュレーションをかけるわけにいかないが、高次倍音から順にサステインが消える音色を選んでおけばさほど問題はない(常に一定音色が出るトーンはよくない)。
ヴォーカルはハイトーンの方が好都合で、深いコンプにも耐えやすいうえ倍音成分の揺らぎがなくなってもさほど気にならない。ただし、裏声やシャウトを加工の対象にするのはかなりの冒険になる。声質としては、いわゆるハスキーヴォイス(音程感が明確でない)だと加工し易いようだ。2010年5月現在の技術水準として、ニコ動の「本気で歌うゆっくりシリーズ」などを聴いてもわかるように、かすれたハスキーヴォイスを人工的に作ってやる(高音域を過剰にジャリジャリさせる加工自体は、ヴォーカルシンセだけでなく重加工系の肉声曲にも使われる)ことで「元が読み上げソフトあってもメカっぽい音になるのさえ許容すれば素人の気合と力技で歌っぽいシロモノが作れる」レベルには達しているようだ。
オートチューンをかける部分のヴォーカルはビブラートをかけないようにする。ビブラートが入っていると、オートチューンをキツくかける必要が出てくる(後から入れるモジュレーションと噛み合わない調子でビブラートが入っていた場合などに悲惨なため)。切り貼り作業の便宜を考えると、デッドな環境でのオンマイク録音を心がけるべきである(休符の間にクロスフェードをかける場合、部屋鳴りがない方がありがたい)。
筆者には流れを追った説明ができるだけの経験がないので、Tips形式で進める。
高性能なツールを使う:詳しくは後述するが、単機能のツールを組み合わせて手でやろうと思うと、作業量がとんでもないことになる。エラスティックチューンとかエラスティック化と呼ばれる総合機能を搭載した環境が増えており、2009年12月現在ProToolsが頭ひとつ抜けた性能らしい(伝聞)。2012年11月追記:TASCAMのTA-1VPというプロセッサ(発売は11年の2月らしい)のデモが凄い。AntaresのAuto-Tune Evoが凄いのか録音加工をしたエンジニアの腕が凄いのか奏者の技術(現在のところ、自動ピッチコレクトには「苦手なパターン」が明確にあり、それを避けてデモを作ることが多い)が凄いのかわからないが、リアルタイムピッチコレクトでこれだけの処理ができるというのは驚きに値する(その辺のローカルFMが「スタジオライブ」で使っているキモチワルイ出音のプロセッサよりは、ずっとマシな音に聴こえる:それで実売が4万円を切っているのだから恐ろしい)。
オートチューンはかけっぱなしにしない:これはすでに述べた通り。加工による不自然さが目立つパートの直前にある小さなミスを放置する(あるいは修正を甘くする)ことで聴き手の印象を操作する戦術などは非常に重要である。ただし、かけ始めとかけ終わりが目立たないように注意する必要がある。
オートチューンは緩めに入れる:まあこれは常識の範囲内だと思うが、オートチューンをキツく入れすぎると音程が平坦になる。ピッチの怪しさが隠れればそれで十分なので、外れ方に合わせて調整すること。
ヴォーカルのモジュレーション:音程(というか音高)を変化させて擬似ビブラートを作る作業。多分、高価なツールと安価なツールでもっとも差が出るのがここだと思う。音程を単純に往復させるだけなら初歩的なツールでもできるが、本物っぽさを出したいなら、音程の変化速度とか(少なくともサインカーブは描かないと思う)、音程が上がっている時間と下がっている時間の比とか(少なくとも1:1ではないと思う)、音程の上がり幅と下がり幅の違いとか(少なくともまったく同じではないと思う)、音程変化と連動した音量の変化や倍音成分の変化とか、聴覚上の音程感(揺れた音程の平均値という意味)の揺れとか、注意しなければならない項目が無数にある。これらをすべて手作業で処理するのは現実的でない。
女声に注意:これはちょっと自信がないのだが、テレビ/ラジオや有線放送などで放送される曲のヴォーカルを注意して聴いてみたところ、男声よりも女声の方がオートチューンに弱い(バレバレになりやすい)気がする。女声の方が深いモジュレーションで処理されがちだとか、音域的に目立つとか、単純にヘタクソ(キツいオートチューンが必要なソース)が多いとか、理由はいろいろ推測できるがイマイチはっきりしない。
モジュレーションは深さを一定にしない:まったく同じ深さのモジュレーションが3往復くらいするとかなり不自然になる。
深いモジュレーションは長時間連続させない:明らかに音が揺れる時間がおおむね4分音符くらいの長さを超えて連続しないようにする。ただし、オートチューンがかかったロングトーンはかなり聴き苦しいので、最初または最後の部分だけを深く揺らしつつ浅いモジュレーションも活用する。やむを得ず長時間深く揺らす場合は、部分的にエコーをかけるなどして音程感をマスキングしておく必要がある。反対に深く揺らしたくない場合は、クレッシェンドかデクレッシェンドを無理にでも入れて「変化感」を演出しつつ、ごく浅いモジュレーションだけは入れておこう。
ヴォーカルのロングトーンはとくに注意:すぐ上の項でも述べた通りだが、オートチューンがかかったロングトーンはかなり聴き苦しい。必要であればロングトーンだけ別録音することも検討する。
モジュレーションは覚悟を決めて使う:2008年8月現在普及している技術水準だと、本物のビブラートを聴いたことがある人は(疑って聴きさえすれば)間違いなくモジュレーションに気付く(イモヅル式にオートチューンもバレるだろう)。いかにも「隠し事があります」的なあざとい加工の乱用を許したとしても「モジュレーションっぽい気もするけどどうだろう」程度の印象は免れないだろう。最初からバレるものだという前提で大胆に使うか、誤魔化せる人だけ誤魔化せばよいつもりで使うか、意識しておいた方がよい。使わないで済めばそれに越したことはない。
高速モジュレーションは考えて使う:高速でやや幅の小さいモジュレーションをやたらと多用する人がいるが、たとえ開き直って使う場合であっても、明らかに不自然な音を使うときにはある程度慎重になった方がよい。
ヴォーカルはコーラスイフェクト必須:モジュレーションの使用を極力避けつつ揺らぎを補うには、コーラスを入れるのがもっとも手っ取り早い。かかっていることに気付くか気付かないかくらいのコーラスは常に入れるべきである。コード楽器の音が薄い場合にも使う。裏技的な手法だが、オートチューンのドライとウェットをミックスするとコーラス的な効果を得られる。というか、原音に音程を揺らした音を被せるのがコーラスイフェクトなのだから、音程が揺れた原音に平坦な音を被せれば似た結果になる。原音の揺れ方にも左右されるし、単体でコーラスの代用になるとは限らないが、少なくともコーラス様の効果を得るための材料にはなり得る。
リバーブに注意:音を曖昧にするためにリバーブを使う場合、ホールっぽいリバーブは機械的な音色と合わないので避けた方がよい(デンシティを限界まで上げたデジタルリバーブを使う)。音のモコモコ感はコーラスやステレオイフェクトでも補えるので、リバーブは必須ではない(ダイナミクスを極限まで叩く場合は入れない方がよい)。低音楽器にはリバーブをかけない(バスドラム以外のドラムスは微妙なところで、状況に合わせてとしか言えない)。
ステレオイフェクトは必須:聴き手の判断力を削ぐために、現実的にありえないような音場をあえて作る(極端なM-Sエンハンスなど)。定位感をぐらつかせるのも有効(マキシマイザーをパンパンにかけてやれば勝手にぐらつく)。
音色は経時変化させる:これも注意力を削ぐため。フランジャーをだんだん入れて急に外すとか、唐突にラジオヴォイスにしてみるとか、とにかくリスナーの注意が曲そのものに向かないよう心がける。
ヴォーカルの加工:隠す音域と目立たせる音域を意識してEQをかける。音程感が明確すぎる場合はある程度ぼかす。厚化粧の度合いによってはステレオイフェクトで定位もぼかした方がよい(コーラスである程度ぼけるが、必要に応じてさらに加工する)。張り上げるタイプのハイトーンには軽くオーバードライブを。
日本語以外の歌詞に注意:日本語の音声に特化したツールをゴリゴリに使うと、日本語でない部分が過剰にカタカナっぽくなる場合があるようだ(ツールの仕様なのか、編集者の設定なのか不明)。
音圧は極限まで上げる:少なくとも「わずかに歪む程度」までは持ち上げ、音の飽和感で押し切る(これも高価なツールがモノを言う作業)。「冷静に聴かれたら負け」だということを十分認識しておく。
オーディオクォンタイズ(タイミング調整)をどうするか:結論から言うとかけるべき。オートチューンで音程が正確無比になっているのにタイム感だけがばらついているのは奇妙である。ただし、リズム隊を「いかにも打ち込み」な音にしてあれば、そこから多少ズレるのはかえって人間らしい印象につながる。徹底的にやるなら、自動処理可能なソフトウェアで一度完全にクォンタイズして、パートごとにハシリ/モタリを設定し、さらにわずかな揺れを入れてやるのも手。音程に本来の揺らぎがいくらか残っていれば、こういった徹底的な作業を回避できる場合も多いだろう。
視覚効果などを活用する:軽視されがちだがこれは非常に重要。リスナーが聴覚情報に集中できる時間を極力減らすべきである。そのためには、単純な音声よりも動画などの形式が適する(テレビではそこそこ誤魔化せている曲がラジオでボロを出すような例を考えるとよくわかる:男性向けの曲なら、厳しい場所にパンチラシーンでも入れてやれば注意を逸らせる)。
ヤバいトコロは力技:切り貼り直後の段階で「こりゃどうにもならん」というポイントが数箇所くらいなら、そこだけ重加工系の処理をしてしまえばよい。たとえば、俗にケロボイスと呼ばれる加工とか、ヴォコーダーに食わせるとか。音の追加や重加工での目くらましは従来からあったが、ピッチ補正を兼ねた処理が普及して効果が上がった。どうにもならないほど酷いウタになる箇所というのは展開の節目が多いわけで、そこに目立つ音をぶつけてやると、最初から狙ってやったかのように装える(従来の集団ユニゾンとかコッテリエコーなどと手法自体は変わらない)。ただし、乱用すると底なし沼なので自制心と冷静さが必要。
ぼかしの方法は適宜使い分ける:当たり前のことだが、ここまでに挙げたぼかしの方法(音場とか視覚効果とか)は「必要に応じて出し入れをする感じ」で利用し「垂れ流しにしない」よう注意。総動員をかけるのはどうしても厳しい場所だけにする。
誤解がないように繰り返しておきたいが、加工や編集でミスを隠すことは、少なくともそれ単体で悪い行為ではない。むしろ、もし曲の良さを殺さずにミスを隠蔽できる技術が自分にあると信じかつ奏者が望んでいるなら、エンジニアはそれを行うべきである。
ツギハギによる編集についても、たとえば、同じ曲を1000回演奏して最高のテイクを録音するのと、同じ曲を1000回演奏して最高のパーツを選り合わせるのと、どちらが正当な作業かなんて誰にも断定できない。そもそもレコーディングという行為自体が作為的な取捨を前提としており(だって発表前なら録音の破棄はいつでもできるんだから)、それをどのように実行するかの違いだけである。
話が振り出しに戻るが、結局、注意すべきなのは「編集で良さは作れない」ということであって、編集することが悪いわけでは決してない。魅力的な素材を得て、切り貼りやオートチューンでそれをさらに活かせるなら、立派な技術である(コンプでダイナミクスをイジるのがよくてオートチューンでピッチをイジるのがダメなんてのは言いがかりでしかない)。ただしもちろん、技術は無尽蔵に習得できるものではないから、どれを追求すると自分により大きなメリットがあるかという問題は検討しなければならない。
翻って、奏者の側にも好みやポリシーのようなものはあって、自分のパートは絶対にオーバーダビングしたくないという人もいれば、少しでもピッチがずれていたら補正して欲しいという人もいるだろう。それに応えようとするのも、あくまで自分のやり方で相手が思った以上の音を出してやろうとするのも、エンジニアの挑戦として十分やり甲斐のあることだと思う。