作詞
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注意点と心得をいくつか。
箸にも棒にもかからないような歌詞しか書けない、と悩んでいる人が確認すべき項目を挙げる。なお、初心者が作詞する場合に限った注意点なので誤解のないように。
- 本当に知っていることを書く:相当な修練を積まない限り、これを守らないと「それっぽい単語を羅列しているだけ」の歌詞になりがちである。日記のような歌詞を書けというわけではなく、主題が「少なくとも1つの経験的知識」に支えられていなければならないということである。
- 主題は1つ:基本的な注意事項である。1つの主題を明確に持つと、慣れないうちは極端に短い歌詞ができてしまうと思う。それは健全な結果なので気にせず、主題に対し「どれだけ多様な見方ができるか」を突き詰めてみよう。上の説明と重なるが、よく知りもしないことを書こうとすると「多様な見方」などは覚束ない。
- 主題は具体的に:たとえば「恋人にフラれて悲しい」というのは散漫な主題である。「恋人にフラれて週末が憂鬱になった」というのはまあまあの主題である。「恋人にフラれてから、以前は週末によく行ったどこそこに行くことがなくなった」というのは具体的な主題である。「絞ってから広げる」プロセスを大切にしよう。
- 手持ちのネタはいったん忘れる:
主題を決めたら、それにまつわるさまざまな情報をゼロから見直す。たとえば「恋人にフラれて週末が憂鬱になった」という主題であれば、その憂鬱さをもっとも強く感じるのはどのようなときか、週末の前後にはどのような心境か、似たような憂鬱さを感じさせる状況は他にないかなど、ネタになりそうな事柄を「主題を中心とした集中力のある視点」で改めて探り、さらに「実際に使うもの」を取捨選択していく。上記の言い方に倣えば「絞ってから広げてさらに切りそろえる」ということになろうか。
- 羅列だけに頼らない:これはある意味やむを得ないことではある。替え歌・数え歌・わらべ歌的な歌詞は「ただ羅列を重ねるだけ」で書けてしまうので、非常にラクなのである。菓子の名前、魚の名前、誰かの悪口、絵の描き順、野球選手の名前、どれもずらっと並べるだけで歌詞らしいものはできるが、その反面、ただの羅列以上のものに仕上げるには高い技術が必要である。初心者は手を出さない方がよい。
- 直接表現を避ける:原則として、1つの歌詞の中で許される直接表現は1回までである(その1回をリフレイン的に使うのは可)。たとえば「恋人にフラれて週末が憂鬱になった」という主題で歌詞を書く場合「週末が憂鬱だ」と直球で言い切ってしまうと話がそこで終わってしまう。週末がいかに憂鬱であるかを示す「シーン」を描写することに労力を費やそう。
- 主観を述語にしない:形容詞/形容動詞を述語にした表現や「~したい」などの表現を避ける。1つの歌詞の中でせいぜい数回が限度だろう(ただし上記のように、主題の直接表現としてリフレイン的に使うのは差し支えない)。「胸が痛い」と書くくらいなら「痛む胸が」と書いた方が、「あなたに会いたい」と書くくらいなら「あなたに会えない」と書いた方がずっとよい。もし多用したいなら羅列的に埋め尽くす勢いで使えばちょっとはマシになる。
- 繰り返しに注意する:やむを得ない場合と意図的に繰り返すフレーズ以外では、同じ自立語を2度使わないようにする。ここでも「多様な見方」が重要である(もちろん、それなりの語彙力も必要になる)。
- オチをムリヤリつけない:論説文と違い、歌詞に結論は必須でない。取って付けたようなオチを貼り付けるくらいなら、オチがないままにした方がはるかにマシである。ただし、なにか問題を提示したら(それを解決する必要はないが)問題に対する「態度」だけは表明しておかなければならない。たとえば「片想いの相手が遠くに引っ越してしまった」という問題に対して「いつも飲むコーヒーが苦くなった気がする」としてもなんの解決にもならないが、態度の表明として必要な表現である。
冒頭にも書いたが、上記は初心者に限った場合の注意点である。架空の世界について書く、複数の主題を同時進行させる、抽象的な主題を用いる、直接表現や主観表現を多用するなど、熟練した人があえてやる分には面白い試みなので、自信がついたら手を出してみよう。
ここで挙げた中でも「同じ事柄を違う切り口で」という技術は非常に重要で「2番以降の歌詞が上手く作れない」という人はぜひ意識してみるとよい(もちろん、1番と2番で違うシーンを描く方法もあるのだが、1番のシーンと2番のシーンにまったく脈絡がなくてはまとまらないので、根底には同じ方法論があると思ってよい)。どうしても1つの切り口しか見つからないという人は、対象の観察が不足しているとか、十分に知らない事柄を主題にしているとか、何かしらの問題を抱えているはずである(意識的に見直すことで上達につながるだろう)。
以下はステップアップのためのヒントなので、慣れないうちは意識しなくてよい。音楽との「協調」する意識が非常に重要である。
- 音楽を頼る:歌詞を音楽に乗せる場合、単に文字だけで詩を書くのと比べて伝わる情報量は増えるはずである。そのため、歌詞だけで表現を完結させるのではなく、頼るべきところでは音楽の力を頼るのが得策といえる。その反面、たとえば文字数やことばの音感など音楽側の都合による制約を受けることになる。これは真摯に受け止めなければならない。力を借りる以上、相手を最大限に尊重するのは当然であろう。ただし、音楽が歌詞の「形式」を用意してくれるということでもあるから、制作上の困難というよりは利点と考えてよいものである(無形式の口語散文詩なんて大天才にしか書けない)。
- 時間軸を使う:音楽が「時間軸上の音の位置」を強制してくれるので、それを利用する。たとえばAmanda McBroom作の「the Rose」に「...love is only for the lucky and the strong...」というフレーズがあるが「for」の前に休符が入っているため聴き手の耳には最初「love is only」しか届かない(これを誤解した日本語訳が出回っていてちょっとアレなのだが「be only for ~」で「~のためだけのもの」という熟語である)。似たような例で、Totoの「Lea」には「who cares what the cynics say」と言った後に「I care if only you're on your way」と続くパートがあり「if」の前に休符が入っているので最初は「I care」だけが聴こえる。ここで「ええっ」と思わせておいて後を続けるわけである。日本語でやる場合は倒置を絡めることになるだろう。
- 隠喩を活用する:隠喩は非常に強力な技法で、使い方次第では相当あざといこともできてしまうのだが、ここでは作詞にバリエーションを出すために用いる。やはり、たとえば音楽が「同じメロディを転調して繰り返すパート」にさしかかったところで「一見脈絡がないように思えるがどこか主題とダブるシーン」を入れてやるなど、音楽との協調を絡めるとより有効である。
- 反対の表現を使う:ことばは常に「反対の意味」に受け取り得るし、またそのような意図で用い得る。たとえばブルースには「嘘臭い希望の歌」が多くある(「ポート・シカゴに行けばみんなハッピーさ」とか:曲調から来る「どうしようもない軽さ」のイメージと相まって非常に印象的な曲を構成している)。傾向として「言葉を尽くして説得を重ねるほど嘘臭さは増す」ので有効に利用したい。
- 技法をあえて捨てる:何をやるにしてもそうだが、技術が先行しすぎるとロクなことはない。シンプルなやり方に立ち返ることもまた重要である。
どれも難度の高い技術なので、気楽にじっくりと取り組んでみよう。
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