まず自分に「明確なイメージさえあればその通りに音を出せる」だけの演奏技術があるかどうかを把握しておこう。このチェックは簡単で「自分がよく知っている」メロディなり和音なりリズムなり(極端に複雑でないもの:テンポはゆっくりでよい)を「記憶だけ」で弾いてor歌ってみればよい(メロディと和音とリズムをすべてカバーできるギターは非常に便利:鍵盤も守備範囲は広いが習得がやや難しい)。楽器や自分の声を使わず直接(ピアノロール入力やステップ入力の)シーケンサーで打ち込むことも、楽器などを使うのに比べて大きなハンデはあるが、熟練すれば不可能ではない。もしちゃんと音が出せない場合、音に対する慣れ自体がお話にならないレベルなので、スケール(音階)の練習を反復するなどしてなんとかする。
そこをクリアしても、ほとんどの初心者は「メロディのよしあしを聴き分ける耳」を持っていない。よいメロディとは結局、よい曲を構成し得るメロディに違いないのだが、メロディから曲をイメージすることは、かなりの経験がないと難しい。たとえばこれはトルコ行進曲(モーツァルトのピアノソナタ第11番第3楽章)のエンディング部分からトップノートだけ抜き出して、テンポを遅くして、オクターブを下げて、16分音符を最小単位にベタ打ちしたものだが、実にしょっぱい演奏である。たいていの人は演奏のしょっぱさに圧倒されてメロディのよしあしなど耳に入らない。ここから「こんな風に弾けばいい感じの曲になるかも」と発想できるのは、メロディから曲を作る作業や演奏の経験をそれなりに積んだ人だけである。
もし技術が不足しているのでなければ、たいていはイメージ自体が「間違って」いる。どういうことかというと、初心者のうちは「ギターというのはどんな音が出る楽器か」「ピアノというのはどんな音が出る楽器か」といったことを正確に把握できていないため、ありえないイメージで作業を始めてしまうことが多い(自分自身のヴォーカルでさえ、きちんと把握している初心者はまずいない)。また、どんな音がどんな問題を引き起こすかについて鈍感なため、実際にはイメージしたままの音が出ていても「こんなに~な音ではなかったはずだ」と考えてしまうことが多い。これらはすべて、明確な意図をもった練習を(必要量は人によって違うが)積み重ねることでしか解決できない。
もっと物理的制限がキツいジャンルだったら、たとえばバイクでサーキットを走るときに「このコーナーはこんな風に曲がろう」と考えて、練習の結果速く走れるラインが最初の想像と違った場合、比較的すんなりと「イメージがズレてたな」と気付けるものなのだが、音楽の場合抽象度が高いのでとくに初心者は「出る音がおかしい」と考えてしまいがちである。現実にを捻じ曲げる努力をするより、イメージを修正しよう。
一方、ある程度慣れてからでも、想像の中でしか鳴らない幻のリズムやメロディに出会うことは結構ある。これをどう分類すべきかわからないが、イメージの飛躍という側面は少なからずあると思う。トッププロと呼ばれる人たち(とくに鍵盤奏者や打楽器奏者)にも演奏中に「変な声」を出すことで有名な人が何人かいるが、楽器の構造とかなんとかいう現実を飛び越えて「出したい理想の音」が多分あって、それが出せないからこそ演奏上の工夫がいろいろと発明されるのだと思う(本人たちがそう言ったのを聞いたわけではないので推測にすぎないが)。
いつの間にか「聴いたことがあるメロディ」を真似していることがある:
これは半分生理現象なので仕方がない。プロの作曲家でも「無意識に真似てしまう」ことがあるようだ。盗作疑惑をどうしても避けたいなら、権利の消滅したクラシック曲などを多数用意して、常にどれかを「モチーフに」しながら曲を作るのも手(クラシックをメロディだけ真似て「盗作」呼ばわりされることはほとんどない)。
他人と違うメロディが出てこない:
そもそも出す必要がない気がする。モードの選択やリズムの変化など編曲的な要素を排除すると、メロディというのは結局「何度上がって何度下がるか」を追いかけたものでしかない。それを膨大な人数が寄ってたかって、気が遠くなるような時間をかけて曲にしているわけだから、今まで誰も使っていないパターン自体が恐ろしくレアなはずである(普通に考えて、レコードやCDなどの記録に残っているメロディよりも現在では誰にも伝わっていないメロディの方が、曲になったメロディよりも曲にならなかったメロディの方が、はるかに多いだろう:5分前に完成した斬新このうえないメロディであっても、10年位前に酔っ払った誰かが鼻歌で歌っていなかった保証はどこにもない)。そのレアパターンにたまたま当たったか当たらなかったかということに、単なる偶然以上の意味はないように思える。個性なんてのはムリして「出す」ものではなく、嫌でも勝手に「出てくる」ものである。
いくらやってもよいメロディができない:
基礎編の最初でも触れたが、これはどうしようもない。ポピュラーミュージックの文脈でいう「よいメロディ」を自前で作れるのは、神様に愛されたごく一握りの人たちだけである。もちろん、そんな人がその辺にゴロゴロいるわけがないので、世間で「メロディがよい」と言われる曲のほとんどは「メロディを上手く流用した」曲のことである。流用元はといえば(権利などの関係から)たいていはクラシック音楽やスタンダード曲なわけで、そういった「元ネタ」を多く仕入れておくと「メロディがよい」曲を作りやすくなるだろう。メロディ作り自体が好きでやっている人にはあまり縁のない話である。
元ネタというとたとえば?:
好みやジャンルにもよるので一概には言えない。権利関係からクラシックが使われやすいとは書いたが、いわゆるJ-POPのメジャーシーンにはLAあたりのポップスを平気で丸パクリする人もいる(国が違うからとりあえず安心という発想なのか、消化できているつもりでできていないだけなのか、よくわからない)。これは本場の音を実際に聴いてみると「ああ、これがオリジナルか」とすぐにわかるだろう。海外の大御所バンドでは、Zepが「Zeppelin Classics」というCDで元ネタをバラされたりしている(Classics自体は、P-Vineというレーベルが企画した「カヴァー曲のオリジナルを収録する」シリーズで「Clapton Classics」とか「Rolling Stone Classics」などもある)。また、メロディの流用が比較的わかりやすい例にゲームの音楽がある。とくにスクウェア系で顕著で、ゲーム好きの人なら、Edvard Griegの「ペールギュント」第1組曲第3曲アニトラの踊り、Saint-Saensの「動物の謝肉祭」第7曲アクアリウム、Jacob Ludwigの「無言歌集」第30番イ長調春の歌、Faureの「シチリアーナ」、Respighi編「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲第3曲シチリアーナあたりを聴いてみれば、どれか1曲くらいは「おや、聴き覚えが」と思うはずである。
流用しようとすると丸パクリになる、オリジナリティを発揮できない:
オリジナリティなんてカケラでも持っていれば大した才能だと思うのだが・・・まずは「上手く真似る」ことから始めてはどうだろうか。そして真似する対象を増やしたり混ぜ合わせたりしてはどうだろうか。マーフィーの法則に「1人のアイディアを拝借するのは盗作、大勢のアイディアを拝借するのは研究」というのがある(余談ながら、筆者に言わせると「大勢で1人のアイディアを拝借するのが流行」で「大勢で大勢のアイディアを拝借するのが文化」である)。
いつの間にか最初のイメージとまったく違う曲になっていることがある:
あまり気にしなくてよいと思う。現状から改めてイメージを構築してみるとよいのではないか。クラシックの練習法に「テーマを決めて短めの曲を作る」というのがあるので、試してみてもよいかもしれない。たとえば「夕立ち」とか「夏の海」とか「牛」とか、ありふれた単純なモチーフを使って作曲する。この発想で作られた有名曲もけっこうあるので、参考にするとよいだろう。
作曲に時間がかかる:
曲によってかかる時間は違う。人によっても違うしたくさん書ける時期とそうでない時期もある。プロでも、締め切りに追われないクラスの大御所(日本にはほとんどいないが)になると、1年に3枚もCDを出したかと思うと5年くらい沈黙したり、ということがままある。
複雑な進行を使いたい:
コード進行が複雑になるパターンはいくつかあるが、必ずしも作曲の段階で複雑なコードを使用する必要はない。単純なメロディに複雑なコード進行を合わせることもごく普通に可能である(むしろ、ある程度単純なメロディの方が作業が楽な場合も多い)。アレンジの領域の話になるが、非常にわかりやすい例がMore Jamのコンテンツコードネームで弾こうにて紹介されている(10-1、10-2、10-3)。メロディラインには一切手を入れない例でもここまでのことができる(当然、使いたいコードやスケールに応じてメロディラインに手を入れるなら、さらに自由度は広がる)。
フレーズはできるが曲にならない/部分的にメロディが浮かばない場所がある:
たいていはただの練習不足。もしそうなら、不恰好でも何でもとにかく最後まで書き切る練習を10曲分くらいやれば解決する。フレーズ作りが得意だが曲に組み上げる作業(compose)がまるでダメ、という極端な人は、フレーズ作りが苦手で組み立てが上手い人を探して相棒にするのが一番。
繰り返しはどこまで許されるか:
曲によるとしか言えない(極端な例ではボレロのような曲もある:必ずしも「繰り返しが多い=単純な曲」ではないことに注意)。似たような(または同じ)メロディを2回繰り返すのはよくある手法(クラシック方面では「提示と確保」という)。ロックなどでは、短めのフレーズを3回繰り返して4回目で変化、というパターンも多い。
パート同士の関連をどう構成するか:
クラシック方面では「問いと答え」の比喩がよく使われる(用語としては問いと答えだが、実際には、提案と補足だったり対立関係だったり並列関係だったり、全休符などで質問だけまたは答えだけ残ったりと、場合により異なる)。これを入れ子にすると以下のようになる。
図中の「赤から青へ」の動きが「問いと答え」に相当する。構成のパターンはこれ以外にもあるが、比較的使い回しの利く考え方なので覚えておいて損はないだろう。
小節の数をどうするか:
ジャンルによっては最初から決まっている(たとえばブルースは12小節、まれに8小節、ごくまれに16小節)。そうでない場合は自由に決めてよいのだが、ある程度流行のようなものはある。ポピュラーミュージックでありがちなのは、Aメロ(提示)>Aメロ(確保)>Bメロ(提示)>Bメロ(確保)>サビ(提示)>サビ(確保)と反復するパターンだろう(前奏や間奏やブリッジなどが適宜入り、Bメロは省かれる場合がある)。各パートは4小節または8小節(多少増減あり)で構成され、8小節のパートは提示>確保の反復をしないことも多い(4小節のパートでもたまに反復しないことはある)。この範囲内で考えられる最小構成は、Aメロ合計8小節+サビ合計8小節=16小節を繰り返すパターンになる(民謡系のクラシックに見られる構成で、「Auld lang syne」(「蛍の光」の原曲、メロディはほぼ同じ)がこの構成)。最大構成はAメロ16小節(8小節2回反復)+Bメロ16小節(8小節2回反復)+サビ16小節(8小節2回反復)=48小節を繰り返すパターン。もちろん、反復なしで16小節のパートを作るなど、上記の範囲を逸脱しても一向に構わない。
曲がギクシャクする:
視野を広く持とう。家を建てる作業にたとえてみる。まず最初に「こんな家を建てよう」という発想があって、そこから「こんな柱はどうか」「こんな壁も面白い」などと考えるトップダウンの視点と、手元にある材料から「この柱を使えばこんな家が建てられないだろうか」「この壁はこんな家に使えば活きそうだ」などと考えるボトムアップの視点、両方がある程度は必要になる。少なくとも「こんな家を建てよう」という発想を最後まで持たないまま建てられた家が家としての体裁を保てるケースはごくまれだろう。
途中で音が高く/低くなりすぎる:
音程に無理があるパートを、伴奏もメロディも丸ごと含めて、高すぎる場合は半音5つ下げ、低すぎる場合は半音7つ上げてみよう(結果的に転調することになる)。たとえばこんなメロディを半音5つ下げるとこんな感じになる。このとき、半音5つ下げパートの入り口は5125、半音5つ下げパートの終わりは251など強い進行に変えてやると納得感が出やすい(サンプルファイルでは、入り口をG>C>D>>G、終わりをD>G>>Cに変えてメロディも調整している:「>>」はパートの区切り)。メジャーキーの場合は半音3つ下げまたは半音4つ上げ、マイナーキーの場合は半音3つ上げ、メジャー/マイナー両方で半音5つ上げと半音7つ下げも、そこそこ使いやすい(詳しくは編曲の知識補充編を参照)。
「アルペジオのような」メロディになる:
理由は簡単で「コードトーンが多すぎるから」である。アルペジオが何のことなのかまだ紹介していないので順番がアレなのだが、ようするに「コードの音を適当な順番にバラして弾く」のがアルペジオ(だとここでは思っておいてよい)なので、コードトーンばかり使ってメロディを作れば当然アルペジオの響きになる。それでなにがいけないかというと、ドラムス+ベース+コード伴奏+メロディという構成をとったときに「メロディが結局コードを弾いている」ため役割が被る(ドラムス+ベース+コード伴奏+コード伴奏になってしまう)わけである。対策としては、メロディにコードトーンでない音を増やす(やり方の例を、一足飛びのメロディのページのオマケで紹介している)か、コード伴奏を片方省いて「別のメロディ」を重ねればよい。ただし、アルペジオ単品でも曲は作れる(響きはかなり単純になるが、たとえばチャーチオルガンのようなデラックスな楽器を使う場合はそれもアリ)ので、やりたくもないのにコードトーンでない音が多いメロディを取って付ける必要はない。