悪魔を見た話


2007年の初夢に、悪魔と契約する夢を見た。


筆者はキリシタンではないのだが、学生の頃読んだファウストの影響なのか、すっかりキリスト教風の悪魔であった。メフィスト-フェレスと同様、あらゆる望みに応えたし、こちらの魂を欲しがった(その夢の中では、悪魔が人の魂を奪うというのは、悪魔と一体化することであるらしかった:食われるのと同義なのかもしれない)。ただし物語の中とは違って、お互い何も言わないどころか名乗りもしないうちに(こちらが望んでそうしたのだが)契約が済んでしまっていた。

けだし、あらゆることが望むままになるという状況は、それ自体が悪魔の領域なのだろう。これは目覚めてから考えたことであるが、もう数歩進めると、何かが自分の思い通りに動くそのたびに、程度の差はあれど、人は魔界に近づくのかもしれない。ファウストは大天才であったから大悪魔メフィストを魅き寄せたが、小悪魔くらいなら誰でも飼っていて不思議はない。

ファウストは結果的に悪魔を出し抜いた。もちろん、キリスト教学的にも整合性のある結末なのだろうが、ファウストが経験した救済はもう少し超越的で普遍的な、ゲーテが自分の人生の先に見出したものの片鱗である。ファウスト同様に大天才であったゲーテも、悪魔とは親しかったのだと思う。

だとするとあの結末は、神と悪魔の区別が意味をなさなくなるところまで行き着くべきだったはずだが、そこで踏みとどまったのは、ゲーテの(シェイクスピア同様の)健全さがものをいったのだろう(しかし、見る人によっては別の結末が見えるわけだから、本当に踏みとどまったのかといえば実は描いてしまっていたのだという解釈もできる)。

一方筆者の夢は、相手が悪魔であることがわかったあたりで覚めたので、結末を欠いたままである。

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