マーシャルが好きらしい(10/05/03)

最近エレキギターによく触るのだが、どうやら、筆者はマーシャルのJCMシリーズが好きらしい。性能云々よりもあの操作性が手に馴染み「次はこんな音色で弾いてみよっかなー」と思いついてから実際に音を出すまでの流れがとてもよい。

反対にフェンダーのツインシリーズは苦手らしく、どーにも引っ掛かる。ローランドは・・・あまり音をコロコロ変えようという気にならない感じ。

まぁこんなのは個人的な好みにすぎないのが分かりきっているし、音がどーした特性がこーしたと論うのもそれはそれで面白いのだが、もうちょっと注目されておかしくない要素なんじゃなかろうかと、しみじみ考えた次第。

2013年1月追記:フェンダー式のコントロールも好きになってきた。弾き方や音色の作り方で好みもけっこう変わるらしい。


どうなんだろうねぇ(10/05/29)

最近印象に残った曲について。

1つは「トイレの神様」という女声ヴォーカルの曲。天才的なセンスではなく職人的な技術力で、素材を生かしも殺しもせず、できるだけ多くの人から効率よくウケを取る、という意味では非常によくできている。しかし、完璧を目指しすぎてちょっと嫌味に(あるいは白けた感じに)なってやしないかなという気がする。

もう1つは「メルト」というボーカロイドを使った曲のCDバージョン(多分)。チラっと耳にしただけなので断言できないが、もしフォルマント(生ヴォーカルでいう滑舌に近い要素)をイジったのなら余計な作業だったんじゃなかろうか。

商売でやっている人たちは生活がかかっているうえ大きな組織で動いているわけだから、アマチュアと違って好き勝手をやれないのはわかる。しかし、心配性も度を過ぎると無益有害である。シンプルなセンスを大人の事情と共存させるのは難しいが、それでも、なんとか余地を残していくらかでも生き延びさせる意義が、どこかにあるのではないかと思える。



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